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オーロラ乗船記(第2部:横浜出港から鹿児島入港まで)



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2001年3月3日

Noon Position:北緯33°16.6’、東経136°11.7’
天候:曇・視界良好
風・南の風、風力2
気温:12.7℃ 気圧:1020ヘクトパスカル
横浜出港から正午までの航行距離215海里(平均船速:21.3節)

昨夜22時19分に乗船客全員の帰船を確認。23時59分、山下埠頭を解纜した。
横浜出港からの経過を、三等航海士アンディ・ウェルテンの記録したログブックから抜き出してみる。

0時6分:山下埠頭を離岸。前進開始。
0時22分:横浜ベイブリッジ通過。
0時31分:横浜港パイロット下船。
1時4分:横須賀水道に進入。
1時45分:東京湾パイロット下船。
1時54分:太平洋に進出。エンジン全開。鹿児島に向け南西に進路をとる。

ゆっくり起きて、クルーズ最初の朝の散歩に出かける。

リフトでリドデッキまで上がって、リデビュッフェ「オランジェリー」の後部ペナントバーから航跡を眺める。
昨日の風力8から較べると回復してきたが、雨も雪も降ってはいないが、日も射していないのでまだ薄ら寒い。

最初のワールドクルーズとあって乗船客は満室のようであるが、豪州から真冬のような日本に来たせいか、この時間に出会う人はいない。
今日は終日航行日で、明朝鹿児島の谷山港に入港するのでのんびり出来る。

自由参加の船内見学会が予定されているので、気が向けばそれに参加し、出来ればクレジットカードの登録を済ませて置こうと思う。

サンデッキ前端のビスタラウンジ「クロウズネスト」を覗いてみた。

クロウズネストとは、前墻頂部に設けられた見張り台のことである。
処女航海で氷山に接触して、船側を破損し低温の海に沈んだホワイトスター社の「タイタニック」の事故で、事故当時クロウズネストの双眼鏡が持ち去られていたことは映画でも紹介されていた。
もし双眼鏡があったらもう少し早く氷山を発見し、ブリッジに通報で出来ていたら大惨事は回避されたかもしれない。

でも、この船の「クローズネスト」は広い。
左の写真は左舷側後方を見たものである。
静かな朝の時間を楽しんでいる人が幾人かいた。 まだ、この時間ここではウェイターも居ない。穏やかな航海初日の朝である。
後壁には往年のP&Oの客船の額が掲げられている。
そして、その向こうは「ヒマラヤ・ルーム」と呼ばれる小サロンがある。バーゴイン船長が後日われわれ日本人乗客に挨拶をしてくれたのもヒマラヤ・ルームであった。
この写真は上の写真を撮った位置から右舷側を見たものである。

「カラスの巣」と言うにしては広い。

中央後方にはバー・カウンターがあるが、この時間は人の気配もない。

このラウンジは広いので、どこからでも前方視界が遮られないように、観葉植物の鉢も 手摺りも低くまとめられている。
さらに全体に前に緩やかな傾斜が付けられている。

センターラインに配置されているジャイロコンパスは飾りのようであるが、直下のブリッジへの通路は設けられていた。

右舷側後端にはフロアが張ってあり、バンドの演奏が出来るし、あまり広くないダンスフロアになっている。
そしてその後方には小サロンがあり、「ウガンダ・ルーム」となっていた。
もう少し前に出てみた。

少しずつフロアが低くなり、低いステップが所々に設けてある。
クルーズの乗客は年輩者が多い。
自由に時間がとれ、クルーズ代金が支払える若者は少ないからである。

そして、お年寄りはちょっとしたステップで躓くことがある。
歩くときに足が思ったほど上がっていないことによる。

それで何でもないところにちょっとした段差があると思わぬ危険につながることがある。
この船では視界を妨げないように、低い手摺り兼ガイドがあり、段差のあるところが限定されている。

その手摺りやアクリルのパネルが目立たないように観葉植物の植え込みで温室のような雰囲気をつくっている。
この時ここには10人程度の人が居たが、静かにゆるやかな時間の流れを楽しんでいるようで、笑い声も新聞や雑誌をめくる音もしない。

私もしばらく船首のZ旗の向こうに広がる穏やかな太平洋を眺めていた。

そのとき、「冬の旅」の旋律が流れて来た。ピアノの音で、音源は近くである。

振り返ると、中央にピアノが置いてあり、1人の男がシューベルトを弾いていたのである。
巧い。素人のピアノではない。
それもその筈である。ピアニスト Antony Peebles 氏であった。
あまり突然であったし、素晴らしかったので曲の切れ目で思わず拍手をしてしまった。
氏は、ちらとこっちを見て黙礼し、演奏を続けていた。
朝の指慣らしであったのだろう。

ピアノの周りにはフラットにあわせてテーブルが設けてあり、ストールが用意されていた。
ビスタラウンジ「クローズネスト」の右舷側を抜け、小サロン「ウガンダルーム」の側を通ってエントランスに出ると、前部エレベータ群のリフトが4基並んでいる。

そこから船尾側に出ると、P&Oのシンボル、黄色の煙突が聳えている。
この煙突の輪郭には電飾が施されており、夜間眺めていると、基、青、ピンクとゆっくりと変色している。

サンデッキの下はリドデッキである。
このすぐ後にはリビエラバーがあり、暴露甲板であるが一層下がってAデッキにリビエラプールとジャクジーがある。
その後のリドデッキには美容室やビューティサロン、エステティックなどがある「オアシス」があり、中央エレベータ群の3基のリフトが下層のデッキと連絡している。

そして、その向こうのスカイドームの中にクリスタルプールがあり、さらに後方のリドビュッフェ「オランジェリー」につながっている。
サンデッキのスカイドームに入ってクリスタルプールを左舷側前部から見下ろしたところである。

リドデッキにもサンデッキにもデッキチェアが並べられており、広くて明るく日向ぼっこにも最適である。

これを撮っている前部サンデッキには卓球のテーブルが2基用意されている。

いつも誰かが遊んでいた。適度の運動量でクルーズには格好のスポーツである。

私も腹ごなしに何度か利用した。

リドビュッフェ「オランジェリー」に隣接しているので、ここに写っているようにトレイを持って来てここで食事をとる人もいた。

この船で好きな場所の一つになった。
リドビュッフェ「オランジェリー」の右舷側後端部である。

ディナーは2つのダイニング「アレキサンドリアレストラン」「メディナレストラン」で摂ることになっているが、朝食・昼食は「オランジェリー」でもDデッキの24時間ダイニング「カフェ・ボルドー」でも摂れる。
この船では毎日日替わりのカレーが食べられる。
私はこのクルーズでは1度だけ食べたが、なかなか美味かった。

ここオランジェリーでは肉も魚もチーズもケーキも野菜も果物もパスタもジュースも紅茶もコーヒーもあるのは当然であるが、日によって、米飯やうどんも用意されていた。
米飯に関してはあまり美味いとは言えない。和食のシェフが乗っているわけでもないだろうから、やむを得まい。
船内案内図には、オランジェリーにもダンスフロアが載っていたようだが、今回の乗船中はここで踊っているカップルは居なかったようだ。
オランジェリーの前部はクリスタルプールにつながり、後部はオープンデッキのペナントバーにつながっている。
そしてその間に後部エレベータ群の3基のリフトがある。
レセプションホールのパームコートである。

中央後部に主階段があり、その正面にレセプションカウンターがある。

ここには掲示板の側に日替わりのクロスワードパズルが置いてあった。

高さ9メートルの主階段には乙女が水瓶を持つガラスの装飾が施されており、実際に水を流すことも出来るように見えたが、乗船中にそれを見ることはなかった。

左右にはソファーが置かれロビーになっている。

接岸時にはこの舷側が開かれて舷門となる。
ちなみに船舶では右舷が正門とされている。
そして船室の番号は右舷側が奇数・左舷側が偶数番で通常、船首から船尾方向に付番される

私のキャビンはF128だから、この階段の左舷側の通路を前方に進んだところである。
階段を一層上がって、左舷側を見たところである。

正面に見えるのは「エクスプローラ」という、寄港地の情報やショアエキスカーションを申し込むカウンタである。

寄港地案内の冊子などが用意され、ツァーチケットもここで手渡される。

ここはまた「POSHクラブ」という会員限定のツァーも取り扱っている。

POSHとは"Port Outside, Starboard Home"の略で、全船空調など考えられもしない往事、印度や豪州に行くときに、往きは東進するので日の当たらない左舷側のキャビンを(Port Outside)、帰途は逆向きになるので右舷側(Starboard Home)の船室を選択したことによる。
免税店もある。

この船の絵はがきやP&Oやオーロラのロゴの入った世界地図帳やスプーンなどお土産のほか、ドレスやタキシード、ホワイトジャケットやネクタイ、宝石・香水・ウィスキーやワインなどいろいろ取りそろえている。

勿論、日用品や消耗品もショアエキスカーションに便利なバッグやリバーシブルコートなど何でもありそうであった。

また、場所が人通りの多い通路に面していて、ディナーやダンスタイムに行くとき帰るときなどショウケースにあるものを毎日見ているとつい衝動的に買ってしまう人もいることであろう。

一生にワールドクルーズなど何度も乗るわけでもないし、カードを見せて伝票にサインするだけで自分のものになるのだから・・・。

私もこの日、レセプションでクレジットカードの登録をした。
今日はDデッキのプレイハウスで、A.Peebles のピアノコンサートがあった。

私の大好きなシューベルトの歌曲集「冬の旅」である。
一曲毎にマイクの前に直立し、解説をしたあとでステージのピアノを弾いて聞かせてくれた。
ドイツの歌曲で、普通ドイツ語で歌われるこの「冬の旅」を英語で解説を聞くのは面白い経験であった。

31歳で亡くなったシューベルトが、死の前年の1827年にW.ミューラーの詩に作曲したこの歌曲集は、あらゆる希望を失った孤独な放浪者を歌ったもので、聞く人の心に救いのない寂しさが伝わってくる。
シューベルトが前半の12曲を作曲したのが1827年2月で、3月にはベートーベンが亡くなってシューベルトも棺を担いでいる。
そして後半の12曲が出来たのが同年10月である。

シューベルトは友人を集めて全曲を歌って聴かせたが、あまりにも陰鬱な歌に途方に暮れた友人達に「これまで僕が書いたどの歌よりも、僕はこの全部が好きだ。いつか君たちも好きになるときがあるだろう。」と言ったと言う。
こうして、出港第二日が暮れた。

我々がキャビンで熟睡している間も船は鹿児島・谷山港に近づいていた。

ログブックによると、4時19分に九州南端を回り、鹿児島湾に向けて針路を北に取っている。

その後、行合船が多いため湾奥に向けて北進しながら度々針路を変更しているようだ。

そして、6時40分に船長が本船の指揮を執り、6時42分にエンジンスタンバイを指令した。
7時00分には鹿児島港のパイロットが乗船し、同40分に岸壁前で最初のラインが掛けられた。

8時02分:繋船。ギャングウェイが掛けられ、乗船客の上陸が許可された。
最初の寄港地へ到着した。

昨日正午から鹿児島到着までの航行距離353海里、この間の平均時速は18.9節であった。

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