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オーロラ乗船記(第1部:横浜入港から出港まで)



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 2000年5月に竣工したばかりの、海運国イギリスの名門P&Oのフラグシップ「オーロラ」が、最初の世界一周クルーズで寄港すると聞いて申し込んでから随分待ち焦がれていた。
 その船がいよいよ横浜に来航する日が来た。入港を迎えるために山下公園を臨むホテルに宿泊に前泊する。
 幸い、港を見下ろすお誂えの部屋が取れた。

夕方、冷たい雨が降り出した山下公園に出てみた。
低気圧が近づいていて、冷たい雨が降っている。
氷川丸は懐かしいカウンター型船尾を見せて出船に係留されている。
今は船体塗装も黒の主船体にホワイトリボンが描かれ、直立単煙突の二引きのファンネルマークと共にNYKの船だと直ぐに判るが、一時期はキュナードの 「カロニア」を真似たのか若草色に塗られていた。
ここに係留された当時は青少年向けの宿泊にも対応していたが今は宿泊施設はない。
ただ、レストランは今も営業しており、往事のライナーのダイニングルームの雰囲気を残している。メニューもそれなりである。
「飛鳥」による2度目の小笠原クルーズの帰りに、たまたまキュナードの「QE2」が大桟橋に、P&Oの「オリアナ」が山下埠頭に、同時に接岸したことがあった。
そのときクリスタルシンフォニーで一緒にメキシカンリビエラに行った船友と再会し、ここで食事をしたことを思い出した。

冷たい小雨だったので、直ぐに宿舎に引き返したが、山下公園沿いの銀杏並木に軒を並べるホテルでは競ってオーロラ歓迎のスペシャルディナーのポスターを掲げていた。
左の写真は何れもショーウィンドウ越しに撮ったものである。

横浜は著名な船が来航すると、この例に見られるように街を挙げて歓迎する。
「オーロラ」は横浜開港以来、来航した客船の中で「QE2」の記録を破る最大船となる。

宿泊したホテルはたまたま、レストランが何かの会合で貸切になっていたので、夕食は地下の和食の店にした。
明日から2週間、まともな和食にはありつけないと思うので、刺身や天麩羅で熱燗を傾けるのも悪くない。

明日は早朝から曙の女神「オーロラ」を出迎えるので早めに部屋に上がることにする。

部屋の窓から氷川丸を見ると、この寒空にイルミネーションの描くカーブが美しい。
この船は、世界第三位だった日の丸商船隊が先の大戦で殆ど戦没してしまった中で、奇跡的に生き残ったNYKのシァトル航路の貨客船である。
戦時中は船体を白塗装し、電飾付きの赤十字をつけて病院船として前線から多くの傷病兵の帰還に奮闘していた。
赤十字といえば、4月1日は連合軍から安導権を保証され、緑十字をつけながら米潜水艦艦長の不注意により台湾近海で撃沈された「阿波丸」のことを忘れるわけには行かない。
奈良の古寺に、同船の犠牲者を慰霊する観音像が建立されており、今でも遺族・関係者が4月1日に参集して、慰霊祭が行われている。
今年、ハワイ沖で愛媛水産高校の実習船「えひめ丸」が、原子力潜水艦艦長の信じがたい職務怠慢により、沈没してしまった。
そして、「阿波丸」のときと同じように艦長やその上官の責任はうやむやに処理されてようとしている。

2001年3月2日(金)横浜入港08:30,出港23:59
天候:曇のち晴れ,視界良好,北西の風:風力8,気温10.7℃,気圧1007ヘクトパスカル。
ドレスコード:カジュアル

夜の明けるのを待って、我々は大桟橋に向かった。
やがて、港湾関係者に混じって、一眼レフやビデオカメラを持った船舶マニアらしい数名が現れた。
間もなく、遊覧船の案内があり、早速乗り込む。早朝から乗り込んだのは、一眼レフを2台も下げたアマチュアカメラマン、若いアベック、弁当持参の夫婦者を含め10名あまりである。
3月と言うのに恐ろしく寒い。横殴りの風にみぞれが混じっている。
3年前を思い出した。98年2月末に2度目の小笠原クルーズから帰った翌日であった。
ワールドクルーズ途上の「QE2」が大桟橋に接岸するので、そのまま横浜に留まってこれを迎えたのである。
その時も雪であった。このときの吹雪は激しかったので、白いベールの中から突然濃紺の船体が現れた。今日はそれに較べるとまだましではある。
ランドマークタワーの頂部は雨雲が覆って見えない。
ただ、インターコンチネンタルホテルの独特の形からかろうじて横浜港と判る。
ランチはベイブリッジの手前で前進を停止した。この辺りで待機するつもりらしい。
まだ、「オーロラ」の船体は見えない。

ハッチが開けられ暴露デッキに出てみると、時折みぞれが降りかかる。風は強い。
待つこと数分、みぞれで白く霞む湾口から、大きな白い船体がおぼろげに姿を現した。「オーロラ」である。

「大きい」「綺麗」と言う声が聞こえる。

やがて斜張橋をくぐって、その麗姿を表した。
本船のログブックによると、「0600:導入水路」「0744:横浜ベイブリッジ通過」と記録されていた。

船体はグイグイと近づいてきた。
既に船首両舷の係船用フラップは接舷作業に備えて展張されている。
通常、船舶では綱取り作業や、投錨揚錨作業のために、船首部を暴露甲板とするが、 客船の場合、外観を重視するため、本船のようにウィンチや揚錨機を外から見えない配置にすることがある。
フラップはこのような船舶で入出港作業における周囲の状況判断や係船作業の確認のために用意されているのである。
この時点で、バーゴイン船長はブリッジに上がっており、一等航海士は船首の配置について居るはずである。そして港外で本船に乗り込んだポートパイロットが操舵指示を出している。
ブリッジ真下の両舷に描かれている「P&O」のロゴがいかにも誇らしげに見える。
キュナードが外国資本に身売りした現在、英国を代表する名門P&Oの最新・最大の名実共にフラグシップである。

大きな船体はランチの前をスルスルと埠頭に向かう。
総トン数7万6千トン、乗客定員1874名、乗組員850名の船体は全長270メートルである。
「P&O」のロゴの左に外板の切り欠きが見え、左端に格納されている救命艇が見える。この救命艇のある甲板がプロムナードデッキである。
このデッキには乗客用のキャビンはなく、ミュージカルショウなどのステージ・メインダンスフロア・ディスコなど公室が配置されている。プロムナードデッキは幅が広く、周回出来るように船首尾で左右舷に渡っている。
その下のEデッキは前半が乗客用キャビンで中央と後端は2つのメインダイニングになっている。何れも船幅一杯の広いダイニングである。
更にその下のFデッキは前半が乗客用キャビンである。
プロムナードデッキの1層上はDデッキである。このデッキも図書室やアラカルトレストランなど公室が並んでおり、後端にはジャクジー付きのプールがある。

939の客室のうち、海側キャビンは655室。そのうち、2層にまたがるペントハウス2室、バルコニー付きスイート10室、バルコニー付きミニスイート18室、バルコニー付きステートルーム96室、バルコニー付きスタンダード280室でそのほかは角窓または丸窓の部屋となる。
本船全体で車椅子対応キャビンが22室あり、これらの部屋ではバス/シャワーやトイレも、救命艇への避難経路も車椅子に対応しており、ダイニングルームやグランドホールなどパブリックスペースもハンディキャップのある人が何ら支障なく楽しめるようになっている。
煙突の後の天蓋部はスポーツエリア、煙突の前は天蓋付きの全天候型プール「クリスタル・プール」である。
その前には1デッキ下がって暴露部に「リビエラ・プール」がある。
船尾部は階段状に日光浴のためのデッキチェアが用意され、Dデッキには3つ目の「テラス・プール」と子供用の水遊び場まである。
この船を横から見ると、各施設を包む輪郭線がなだらかなカーブを描いていて、柔らかい印象を与えている。

ランドマークタワーと較べるとさすがに大きい。今まで横浜に入港した船では「QE2」が最大であったが、本船は総トン数でその記録を更新してしまった。

写真ではよく見えないが、トランサム(船尾板)のEデッキ(大きな角窓が6つ見えるのはダイニングルーム「アレキサンドリア」である)中央に「AURORA」と船名が、その下に船籍港が「LONDON」と小さく標記されている。
船名の上に見える3つの開口は左右舷を結ぶプロムナードデッキであり、その上の暴露甲板は、「テラス」と呼ばれ、ジャクジー付きのテラスプール、テラス・バー、それに水遊びの出来る子供の遊び場もある。
その上の3層は日光浴用のデッキで、更にその上は「ペナントバー」と呼ばれるオープンバーである。ここで水平線まで続く航跡を眺めながらその日お奨めのカクテルを楽しむことが出来る

横浜港の消防艇が歓迎の放水を行っている。
横浜に限らず、客船の入港する港湾では消防艇のノズルで歓迎するのが恒例となっている。
この放水、時には赤・黄・緑など取水した海水に着色して、5色のシャワーで歓迎することもある。
でも、今朝は少し寒いけれど、やはり良いものである。
歓迎行事では、岸壁でブラスバンドの演奏や、民族舞踊で歓迎することもある。
こんな時、プロムナードデッキでは期せずして拍手が沸き、手が振られ笑顔が広がる。

今回は早朝でもあり、大桟橋や山下公園で歓迎する人波は、3年前の「QE2」、「オリアナ」、「飛鳥」3隻のワールドクルーズ揃い踏みの時には及ばなかったが、天候の回復に従い山下公園や山下埠頭に集まって来た。

出迎えの遊覧船を下りてホテルの部屋に戻った。
窓から山下埠頭に出船に係留された「オーロラ」が見える。
ちょうど3年前、同じP&O社の「オリアナ」が係留した埠頭である。
あのときは、何れも世界一周クルーズに出港するキュナードの「クイーン・エリザベス2」とP&Oの「オリアナ」と、それに同じく海運の名門、NYKの「飛鳥」が殆ど時を同じくして出港するので、見送りや乗船手続きのほか、乗客や積み込み品など混乱を避けるためであろう、大桟橋に[QE2」、山下埠頭に「オリアナ」、新港埠頭に「飛鳥」と分散して係留していた。
このため、千載一遇の機会に豪華船3隻をファインダに収めようとカメラマン各氏は撮影ポイントに苦労し、ランチやヘリコプタをチャーターした人も居た。
この時もQE2が入港したときは吹雪であったが、その日も昼から良い撮影日和になった。
3隻を同時に収めることを断念した人は、ランドマークタワーをバックに入れたり、富士山を背景にしたりと工夫をしていた。
チェックアウトしたホテルに荷物を預けたまま、我々が様子を見に山下埠頭に行っのは9時半過ぎであった。朝方のみぞれも止んで、風は冷たいものの、いい天気になっていた。

エージェントの乗船受付は午後である。幾つかテントが建ててあるが、風が強いのでチラシが風に舞っている。
スーツケースを幾つか搭載したワンボックスが来ていたが、その担当者らしい若者に呼び止められた。乗船予定者のような顔をしていたのだろう。別送していた自分のスーツケースを確認して、積み込みを依頼して置いた。日本はチップの煩わしさがなくて良い。
オーロラからはオプショナルツァーや、寄港地観光をする乗船者達が降りてきた。皆、この寒空にTシャツに短パンのような軽装である。ノースリーブのレディも居る。見ている方が震え上がった。

午後2時前になったのでホテルに預けていた荷物を持って受付に向かった。
探せどもエージェントの受付は見つからない。
そのうち、そのエージェントのバッジを付けた年輩の夫婦に出会った。自己紹介をして、互いに、探しているが受付が見あたらない。
そのうち、誰かに声を掛けられた。エージェントの関係者らしい。
彼に誘導されて舷門を昇った。
そこにエージェントの担当者が居た。
一旦、此処に乗ったから降りられないと言う。
此処には「オーロラ」の乗船受付カウンタが開かれていた。
パーサーの制服を着た担当者がにこやかに乗船者の乗船カードやパスポートを確認して 乗船カードを手渡している。
我々も、エージェントの立ち会いで乗船手続きを完了することが出来た。
気を揉んで、その割に簡単に船上の人になる。
これから2週間、本船が我が家となるのである。

まず、これからの生活の拠点となるキャビンに向かう。
5デッキの前方左舷のF128号室である。レセプション・カウンタと同じデッキだから何かと便利である。
並行部を少し外れて外板にはフレアが掛かってくる。と言うことはキャビンは床面積を設計値を確保するように内壁が部屋毎に僅かに内側に寄っている。
その結果、窓のレセスはそれだけ深く、結構広いスペースとなっているのである。
全長270メートルの客船だからピッチングも殆どないし、良いキャビンである。
西洋人は日本人のように毎日必ず風呂に入る習慣はない。従って本船も全てのキャビンにバスが設置されている訳ではない。このキャビンもシャワー・トイレの部屋である。
TV・冷蔵庫・湯沸器・セーフティボックス・ヘヤドライヤ、それに充分容量のあるクローゼットなどである。
電源は英国船であるから220V、60Hzである。どうしても必要なのはディジタルビデオカメラを含むカメラ類のバッテリーチャージとシェーバーくらいである。
海外旅行とクルーズの経験から電圧変換器と各種コネクタは持ってきたものを早速セットする。

キャビンを確認したら少し船内を歩いてみることにする。
まず、全体を眺めるためにサンデッキに上がってみる。

時刻は4時前である。思った以上に高い。隣接する氷川丸が小さく見える。山下公園添いのビルの最上階か屋上の高さである。
写真は左舷後方を臨んでいるが、このデッキの最前部はブリッジの上部に当たる展望ラウンジで、クロウズネストと呼ばれている。

サンデッキまで通じているエレベータ群はこのクルーズネスト後方の前部エレベータ群だけである。
1層下のリドデッキに降りるとサウナやマッサージルームのある「オアシス・スパ」の区画に中央エレベータ群、リドビュッフェ「オランジェリー」の後方に後部エレベータ群がある。

開閉式のガラス屋根、マグロドームの中は、本船で最も大きなクリスタル・プールがある。
このプールは幅も長さも水深も船上のプールとしては充分に深い。
サンデッキは吹き抜けとなっており、両側はガラス張りのサンテラスとなっており、前方にはテーブルテニスのテーブルが2台用意されている。
写真はサンデッキから船首側を見下ろしたものである。中心にマーメイドのブロンズが設置されている。
プールは一層下のリドデッキである。周りには折畳みチェアが並んでおり、船首側には大きなジャクジーが2つ、通路を隔ててクリスタルバーのカウンタがあり、その向こうにバスタオルなどの用意されたシャワー付きの更衣室がある。
舷側は明るく広いテーブルが並んでおり、軽食や飲み物、それにフルーツなどをサービスするためにウェイターが待機している
サンデッキからリドデッキに降りる。
正面前方中央に「クリスタル・プール」、その右下に「クリスタル・バー」の案内が見える。
このバーにはアイスクリームのほか、ホットドッグやサンドウィッチ、ジュースやコーラのようなソフトドリンクも用意されている。
ジャクジーの向こうにブロンズが見えるが、その奧のドアの向こうは中央エレベータ群や階段に通じている。

照明の点いているクリスタル・バーの上に卓球台が見える。
上のデッキの温室のような明るいスペースで飲み物を片手に読書をしている人も居る。
風の強い3月2日の横浜であるので天蓋は閉じられているが、ガラス張りなのでとても明るく広々とした空間である。

艫に出てみた。リド・ビュッフェ「オランジェリー」からガラス戸を押して外に出るとペナントバーである。解放甲板の中央に島状のカウンタがあるが、係岸中でもあり寒いので誰も居ない。
外を見ると山下埠頭にも公園にもオーロラを見に来た人が見える。午後4時少し前である。

Dデッキ船尾にはレッドエンサインが誇らしげにはためいていた。
言うまでもなく、英国の国籍旗である。
英国ではカントン(旗の左上の部分。星条旗では星の並んでいる部分を言う)にユニオンジャックを用いるのは共通しているが、ロイヤル・ネイビーに所属するいわゆる軍艦(HMS)はホワイトエンサインと言って白、官公庁所属の船舶はブルーエンサインの青で海上でも明確に識別できる。
レッドエンサインは英国商船の文字通り旗印なのである。

オーロラにはメインダイニングが2箇所ある。何れもEデッキで、中央部の「メディナ・レストラン」と後部の「アレキサンドリア・レストラン」である。
どちらも525席で、グループ用の8人掛けの丸テーブルの他、2人掛けのテーブルも充分用意されている。
メディナ・レストランは船側から船側まで幅一杯に使っており、両側は広い窓で採光されている。このダイニングの内装はムーア風のインテリアに整えられている。
写真は、アレキサンドリア・レストランの我々が下船まで世話になるテーブルである。
このダイニングは船尾なので3方に広い窓が設けられている。
インテリアはアレキサンドリアに因んでエジプト調に整えられている。
写真にあるようにP&Oの船では、未だに同社の船舶などをイラストに用いたメニューを用意してくれる。
コレクションマニアにとって垂涎の的である。

この写真は、私の席から横を向いてエントランスを望んだものである。適当な段数の階段の横にピアノが見える。
ライナーと呼ばれていた大西洋定期客船の頃は、多少時化ていても到着日時を確保するために走らねばならなかったので、こんにちのクルーズ船に較べると揺れが大きかった。
そのため、ダイニングは少しでも揺れを少なくするために極力低い位置に配置された。
それで、当時の船ではエントランスにタイタニックのような踊り場のついた階段が設けられていたのである。
こんにちのクルーズでは航程に余裕があるので、デッキランチの時にスコールに遭いそうになると90度でも180度でも針路を変えて走り、ランチタイムが終わったら元のコースに戻ることは日常的に行われている。
また、クルーズの常連客には高齢者やハンディキャップの人も少なくない。
それで、天井高さが確保できる程度の階段となっている。車椅子の人は階段脇から案内される。

アトリウムの階段の写真である。
ビデオで撮った時には高さ9メートル吹き抜けの人工滝を上から下まで振ることが出来たが、このように静止画を切り出すと、上や中は何か判らないのでアトリウム下の階段の写真となってしまった。
このアトリウムに面して、Fデッキではレセプションとガーデンコート、Eデッキはピカデリーコートと呼ばれオーロラのロゴの入った小物や日用品を扱うコーナー、ティーラウンジ、プロムナードデッキにはドレスやコートそれにアクセサリを並べるメイフェア、Dデッキには図書室やロビーなどが並んでおり、この船の中心部と言ってもよい。
アトリウムに面したコーヒー・チョコレートバー「ラッフルズ」もコルクの音のはじけるシャンペンバー「チャーリーズ」もアトリウムに隣接している。

Dデッキのカフェ・ボルドーである。
24時間営業のアラカルト・レストランなので寝坊したり、寄港地で遊びすぎて食事のタイミングを外したときなどには有り難い。喫茶も食事もOKである。

中央にプロムナードデッキに降りる螺旋階段があるのでチャンピオン・バーやカジノ・モンテカルロクラブ、それに隣接するディスコ・マスカレードやダンスフロアのカルメンズからもアクセスの便が良い。

何度か利用したが、カレーもスパゲッティもなかなか旨い。ただ、この船も全般的に食事の量が多い。あれだけ食べていればベルトがきつくなる。よく「ハーフポーション」と注文をつけていた。

船内探訪を終えて、キャビンで一休みする。

ディナーは1回目だから1900である。

この日は乗船日だからドレスコードはインフォーマルであったが、テーブルメートはフォーマルナイトの写真で紹介しよう。
左端の髭の紳士が「船旅さんこんにちは−航海記−」などを書いている作家のKoさん、その隣が弁倶郎、Kaさん、一番右がWさんである。

P&Oでは往時のP&Oラインの船の絵などをあしらったメニューが用意されている。
この日のメニューカバーは19世紀末の高速客船「カレドニア」の油絵である。

いよいよ、深夜23時59分に山下埠頭を解纜して、次の寄港地鹿児島へと向かう。
オーロラの東アジアクルーズの始まりである。

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