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クィーン エリザベス 2ワールドクルーズ「Voyage of Discovery」(第4部)



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2005年2月27日(日):長崎寄港(0800〜1800)・ドレスコード「インフォーマル」

長崎に着いた。

キャビンのTVモニターに写った船首撮影用の画像である。

ディジタルで撮像すると走査線の同期と無関係に画像そのままが撮れるのはありがたい。

長崎港の松ヶ枝岸壁に接岸中である。

乗船した3日前は真夏のフィリピンであった。
一昨日・昨日と2日間北向きに航行して目覚めると冬の長崎であった。
クルーズは面白い。

アッパーデッキから艫を望んだところである。
松ヶ枝岸壁に入り船に着けた本船の船尾には架設工事中の女神大橋の向こうに三菱の香焼工場が見える。

その手前に見える赤いストライプの入った白い船はホテルシップ「ビクトリア」である。
元青函連絡船「大雪丸」を係留状態でホテルにしたものである。

随分前、大晦日に宿泊したことがある。
海上から見た新年を迎える打ち上げ花火も良かったが操舵室をそのまま使ったバー「ソーダ」がなかなかであった。

1デッキでは乗組員の避難訓練が行われている。

対岸の飽浦は三菱の長崎造船所本工場である。

岸壁には護衛艦が2隻係岸されていた。
イージス防空システムを搭載したミサイル護衛艦の一番艦「こんごう」(基準排水量7250t)とむらさめ型汎用護衛艦の最後に建造された「ありあけ」(基準排水量4550t)である。
何れもここで建造され、第2護衛隊群に所属し、定係港は佐世保である。
年次点検整備なのであろう。

「ありあけ」艦首の背後に見える白亜の建物が造船所の本館である。

長崎出張中、本館から進水を終えて岸壁で艤装工事をしている「飛鳥」を見下ろしたとき「どんな富豪が乗るのだろう?」と思ったことを思い出した。

係船中に行われる乗組員のボートドリルは実際に救命艇をボートダビットから降ろしてエンジンを始動したり、操艇訓練も行う。

写真に見える左の艇はカッタ−タイプのライフボートで、右の艇は作業用のワークボートである。

この2艇には操艇要員しか見えないが、別の艇にはライフジャケットを着けたクルーが乗っていた。

寒冷地などでは潜水夫が船底や舵板、推進器などを点検することが出来ないから温帯の寄港地に入ったときには潜水夫を潜らせることもある。

この写真の右に行けば大浦天主堂やグラバー邸がすぐ近くである。
カッターの背景に渡船乗場が見え、そこから更に左に行けば長崎駅前に出る。

朝はオプショナルツァーに出かける人などで混雑するのでゆっくりして下船しようとするが歩き回っても判らない。
2デッキのパーサーズオフィスに聞きに行ったら「4デッキ」と言う。
4デッキを探してもゲートらしきものはない。
やっと、下船するらしい人を見付けてついてゆくと5デッキの前方に舷門があった。

船の絵葉書が欲しいときにはここで頼むと出してくれる。
ショップでも売っているが、僅かに違いがある。
船首前方右舷側の海面から停泊中の本船を見上げた同じ写真であるが、商品の方は写真面にQE2のロゴが入り、表には主要目が印刷してある。
サイズも僅かに大きい

パーサーズオフィスでクレジットカードを登録しておけば船内では現金を持ち歩く必要はない。

昼前になって下船した。
近くで客待ちしていたタクシーに乗って「どこか、この船がよく見えるところへ連れて行って。そのあとは茶碗蒸しの吉宗まで送って下さい」と言うと対岸の山道へ向かって走り出した。

山の裏側を何処まで連れて行くのかと思ったら湾内が見下ろせるところに出た。
しかし、電線や鉄塔、それに山上の墓地などが邪魔で良い絵にならない。

結局、タクシーしか入れない稲佐山の山上に出て展望台から撮ったのがこの写真である。

この運転手さんは面白かった。
長崎土産からシーボルト追放、ペルリやプチャーチンの開港要請・文明堂と福砂屋のカステラ、果ては地形に基づく地名の由来まで運転しながらよく喋った。

山を下りて街に出て「こんなところを車が通って良いのか」と思うような路地を抜けて吉宗まで送ってもらった。
赤提灯の沢山吊ってある老舗の格子戸を開けると、正面に銭湯の番台のような帳場がある。
「いらっしゃい」と元気のいい下足番が下駄箱の大きな木札を景気良く鳴らして「お二階へどうぞ」と言う。
二階の座敷に通された。
茶碗蒸しといなりのセットを頼んだが、ちょっと時間が掛かるかも知れないと熱燗と突き出しを追加した。
やがて、大きな碗の茶碗蒸しが来た。
注文を通してから蒸すので時間が掛かるのである。
この座敷では写真に見える家族連れともう一組外人が居た。

当地では「ヨシムネ」と呼ばず「ヨッソウ」と言う。

吉宗から長崎の商店街を抜けて歩いて松ヶ枝岸壁まで戻ってきた。

この年の正月に、このすぐ近くのホテルで宿泊したので何となくよそに来た気がしない。
この松ヶ枝岸壁は十数年前に整備されたものである。

そのときは長崎港を見下ろす回転式の展望塔があったが撤去されていた。

舷門には長崎のガードマンが当直している。

この岸壁が使えるようになるまではどうしていたのだろう?

お帰りなさいの垂れ幕には「2005年ワールドクルーズ」の文字が見える。

食事の時間になったのでカロニアレストランに行った。

例の壮年の男女数人の船友が一足先に食事を始めていた。
元気そうで、明るくて好感が持てる人達である。

背中が写っている小柄なウェイトレスが最初の日の我々のテーブル(#551)の担当であった。

彼女に「メニューを記念に持って帰るからね。」と頼んで置いたのだが、翌日からテーブルを#549に変わったので担当のロレンツォに伝わって居なかった。

我々のテーブルは2人用のセットになっているのでスッキリと片付いている。

この日のデザートは、シャーベットがストロベリーダイキリ、アイスクリームはバニラ・ロッキーロード・チェリーバニラ、フローズンヨーグルトはバニラ、ソースはチョコレートファッジ・バタースコッチとあった。

飲み物はエキゾチックティー、エスプレッソ、レギュラーコーヒー、カフェイン抜きとある。
メニューにはないがカプチーノを頼んでみた。
「イエス、サー」と言って下がってカプチーノを入れてきてくれた。

このあとはプチフールと言ってチョコレートや生姜糖などを奨めてくれる。

部屋のベッドメーキングのときはミントやダークチョコレートなどがキュナードの包装紙で枕元に置いてある。

午後6時少し前である。

ホテルシップにも灯りが入っている。

QE2の出港を補佐する曳船がいつの間にか船尾に待機している。
1デッキの船尾両舷にも小さな照明灯が点いている。

我々の乗った短いクルーズの唯一の寄港が終わり出港しようとしている。
この日は穏やかな良い天気であった。

レッドエンサインも微風に揺れている。

1デッキのプールにも泳ぐ人は居ない。
QE2のシンボルであるゴールデンライオンがプールの底から見上げている。
係船中で、しかも天気が良く、泳ぐ人のいない時間でないとこのような写真は撮れない。

プールと言えば、いま、「ザ・リド」と言う名のビュッフェになっているところにもプールがあった。
中心線から左右にスライドする透明な天蓋で覆われた全天候型であった。

ザ・リドと言うのは船の水泳プールのことである。
元々は地中海の別荘でプライベートビーチ、あるいは庭に造られたプールのことを指す呼び名であった。
何度目かの改装でビュッフェに改装されたとき、ここがプールであったことを、その区画の名として残したものであろう。

出港の時間が近づいたのでサンデッキ前方に出てみた。
QE2の船首部は美しい。
極端なフレアはない代わりに、かなり高い乾舷をさらに船首端にかけてなだらかなシェアをつけている。
船首尾に必要なボラードやフェアリーダ、それにウィンチやウィンドラスは1デッキの下に隠して外観を保っているのである。

出入港の際、キャプテンはブリッジで指揮を執り、チーフオフィサー(一航)を船首端に、セカンドオフィサーを船尾に配置する。
このため、船首端のプラットフォームを「CO’sプラットフォーム」と呼ぶが、この船にはプラットフォームはない。
一航は解纜のため岸壁側(右舷側)を注視しており、左舷側には曳船の赤いマストの先端が見える。
岸壁にも本船のデッキにも出港の模様を見ようと人が出始めた。

船首右舷側に待機していた曳船が本船を曳き始めた。

タグボートは曳船と呼ばれるが、小さな船体に似合わない強力な主機を搭載しており、本船からのトランシーバーによる指示で任意の方向へ押すことも曳くことも出来る。
それに狭い港内で大きな船を扱うわけだから小回りが利かなければならない。

通常の船舶では、船尾水面下のプロペラ(暗車)後部に舵板を配置し、これを左右に捻ることにより船体後部に横向きの力を発生させて向きを変えが、殆ど前進速度のない場合は舵は効かない。
舵板と周囲の水との相対速度で横向きのスラストが生じるからである。

このため曳船の舵はコルトノズルとかフォイトシュナイダーのように推進器と一体となった特殊な機構が用いられる。

船首が静かに動き始めた。

このとき、「長3声」の汽笛が吹奏された。
QE2の汽笛は柔らかい和音で個人的に好きな音である。

しばらくすると赤い船首旗も降ろされる。

ランチの発着する浮き桟橋の向こうでは地元の人達が見送ってくれている。

岸壁から離れて、港内で向きを変え次の寄港地である大阪・天保山埠頭へと向かう。

本船は自力で航行を始めた。

煙突からもA重油の淡い煙が見える。

船尾方向に見える長崎の街にも街灯が見える。

私はこんな穏やかな日の夕刻の出港が好きである。

ボートデッキのプロムナードにもゆっくり歩を進める人影が見える。

南山手の坂の街を何時までも眺める人も居た。