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クィーン エリザベス2 ワールドクルーズ「Voyage of Discovery」(第5部)



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2005年2月28日(月):航行日(太平洋航行)・ドレスコード「フォーマル」

これが我々のキャビンのルームキーである。

この船は建造後何回かの改装を何度も経ているが、竣工は1969年である。
三十数年間の間に、主機を蒸気タービンから燃費の良いディーゼルに換装するなど大規模な改装もあり、シグナルデッキにペントハウスが増設されたりしたが、主船体部は建造当時と殆ど変わっていない。
このため、4デッキ・5デッキでは多いところで幅方向に6室並んでいるところもある。
従って、船体中心線に平行な2本の主通路から幅方向に曲がり、さらに前後方向に曲がってたどり着ける部屋もある。
最近のクルーズ船のように多数の人の流れを考慮した動線に基づいた配置になっていない。
沖泊まりのときは、テンダーボートに乗るまで多少混雑することもある。
勿論、キャビンの鍵もオートロックにはなっていない。
これもこの船が好きな理由の一つである。

今日の昼食はクウォータデッキのリドにした。

船内新聞に鰻丼が出ると書いてあったからである。

やっと見付けて中国人のコックさんにウナギ丼を用意して貰った。

丼は大きな木の椀にウナギをのせ、タレをかけてくれた。
さすがに肝吸いはなく、代わりに味噌汁が用意されていた。

味噌汁をスープカップで飲むのも良い経験である。

リドはいつも多いのでトレーを持ってパビリオンに降りた。

夕食の前にヨットクラブに行った。

ここも何もないときは静かで良いところである。
すぐ後方の暴露甲板に出ることも出来るし、3方の見晴らしも利く。
左舷側にカウンタがあり、右舷側は小さなステージとダンスフロアがある。
ここで「本日のカクテル」を時間を掛けて味わったあと、Jがウェイターに何かを頼んでいた。
ウェイターはオーダーを確認してから「よくカクテルをご存じですね」と笑っていた。

両舷は一段高くなっており、20人程度のプライベートパーティなどにも利用できる。

ウァーウィック船長の指揮する最後の航海に乗ったとき、プライベートパーティで船長夫人のキムさん達と談笑したところである。

ヨットクラブ前に展示してある外輪船ブリタニアの模型である。

カナダのサミュエル・キュナードが蒸気船による大西洋横断郵便旅客事業に乗り出したときの第1船である。

本船の処女航海ではリバプールからハリファックスまでを12日10時間要している。

この左舷側にはキュナード氏の胸像も展示されている。

両側を前方に進むとグランドラウンジがあり、さらに右舷側を船首方向に行くとフォトショップ、ゴールデンライオンパブへと通じている。
チャートルームバーや書店・図書室は1層下のクォーターデッキである。

カロニアレストランで夕食のデザートに出てきたババナフランベである。

Jはマンゴとパッションフルーツカスタードのメレンゲをとっていた。

毎食後、デザートと飲み物とチョコレートやジンジャーのような甘いものが出る。
一つとると「もう少し如何ですか?」と奨めてくれる。

この日のメインはロブスターとアンガス牛のフィレステーキだったと思う。

勿論、体重や皮下脂肪を気にする人のためのメニューも、ベジタリアン向けのメニューも揃えており、メニューにないものを頼んでも何とかしてくれる。

最後の晩餐のあと、お世話になったウェイターのロレンツォと記念写真を撮った。

乗組員は様々な国と地域から乗り組んでいるが、グリルやレストランのウェイターにはイタリー系が多いようである。

このあと、記念に今回のクルーズのメニューが欲しいと言うと、取り敢えず手元にあるものをかき集めてくれた。
「他にもあると思うから明日の朝食に来られるときに用意しておきます」と言ってくれた。

カロニアレストランは初めてであったが、良いレストラン、良いウェイターであった。

何かちょっとしたお土産でも用意しておけば良かった。

クィーン・エリザベス2では、航行日のドレスコードは毎日「フォーマル」である。

それから、数日に一回程度の割合で、クィーンズルームで舞踏会が開催される。

日本の沿海を航行しているし、早春だから今日は「チェリーブロッサムボール」なのである。。
先日、大の男が大きな勤続光沢の紙で折り鶴を折っていたのもこの日の飾り付けの小道具だったのである。
でも、部屋の飾り付けもご婦人方の衣装も中国と日本を混同しており、中には湯上がりのバスローブと間違うようなものを着て得意げにはしゃいだり写真を撮りあったりしていた。
この日のダンスを楽しみに来ている人も居るに違いないが、それにしてはダンスフロアがあまり広くない。
マダムバタフライのアリアを歌っていたが、歌手は浴衣のようなものにツッカケのようなものを履き、そのまわりを中国の小娘のような衣装で踊りまわっていたのは戴けなかった。

2005年3月1日(火):大阪下船(0800:天保山ターミナル)・ドレスコード「インフォーマル」

前日ディナーとチェリーブロッサムボールのあと、キャビンに戻ってスーツケースに詰め、タグをつけて部屋の前に出して置いた。
パスポートもパーサーズオフィスで受け取った。
朝食にカロニアレストランに行ったとき、ウェイターが我々のために今航のメニューを可能な範囲で集めて渡してくれた。

我々のグループは、ここクィーンズルームの右舷側に9時に集合である。
キャビンは次航準備のために9時までに明け渡さねばならない。

クィーンズルームは昨夜の舞踏会の飾り付けがそのままである。
ここで「大阪へようこそ」と歓迎のセレモニーが行われる。
下船日はフォトショップも売店もキャッシュである。
手持ちのドルで支払った。

9時を過ぎると大阪の歓迎セレモニーを見ようと乗船客が集まってきた。
法被を着た若い衆が樽酒を運び込んだ。
小さな杉の枡がピラミッドに積み上げられる。

車椅子の人もいる。
立ち見の人も増えたので席を譲ろうかと思っていたらちょうど下船の案内が来た。
短かったけれど楽しいクルーズであった。

エージェント差し回しのバスで新大阪まで送ってもらい、昼過ぎに帰宅することが出来た。

お世話になった各方面に感謝しつつこの項を終えることにする。

「大変お世話になりました。有り難うございます。」


QE2乗船記2005  おわり