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《 97年夏のスナップ(第2集) / Snap -'97 Summer #2- 》



はじめに

  第2集はサンフランシスコ・ロサンゼルスのスナップを十駒並べて見ます。



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「#39ピア」

フィッシャマンズワーフ  サンフランシスコの埠頭はワシントン通り正面が1番で、北に奇数・南に偶数が付番されています。オークランドと結ぶベイブリッジは24番埠頭の上を跨ぐ格好です。

 地図で見ると47番はアルカトラス島よりはるかにゴールデンゲート橋寄りで、98番埠頭はスタジアムのあるキャンドルスティック公園の近くになります。番号を1番間違えたら離れているので出港に間に合わなくなります。

 39番ピアから西に「フィーッシャーマンズウォーフ」として知られているショッピングセンターが広がっています。元々イタリア人漁師の船着き場だったのですが今では観光の名所として魚介料理・土産物店・小劇場などが並んでいます。

 ちょうど神戸のハーバーランドをずっと大きくして賑やかにしたような処です。

 われわれは「ネプチューン・パレス」と言うシーフード・レストランに入ったのですが、冷たい茹蟹の皿に載っていた植物は食べられないことはないが、とても野菜とは思えないものでした。




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「アルカトラス島」

アルカトラス  アルカトラス島は39番ピアの正面にある小さな島です。

周りは崖状で、潮の流が速く水温もかなり低く脱獄不可能と言われた監獄がありました。

 1962年に某兄弟がベッドに自分達の頭部の模型を残して脱獄したが未だに行方不明だそうです。

 私は見ていませんが「アルカトラスからの脱出」とか言う映画も製作されています。

 今は無人島ですが,観光名所としてガイド・ツァーが催されています。

グループ毎の案内の終わる頃、希望者は30秒だけ入獄出来るそうです。

 出航の日は島の近くを中型のヨットが風を受けて快走していました。



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「リムジン」

リムジン  フィッシャマンズウォーフからゴールデン・ゲートの方に向かって行くと左手がギラデリ・スクエアです。南北戦争のころの毛織工場がギラデリのチョコレート工場になった処です。

 その近くの路上にご存知のリムジンが止まっていました。

私の住む町内にこんなものが来たら駐車場どころか右折も左折も出来なくなると思います。

 アメリカで船に乗るときにホテルからリムジンを使うと聞きいたことがあります。

 これにスーツケースを幾つも載せたりすると日本に帰国する場合は帰りの航空機で重量超過の追加徴収が馬鹿にならないことでしょう。

 上空から見るとアメリカは国土が広いのですが、サンフランシスコは平地部分が狭く、地震対策もあって隣接する建物が文字どおり互いに寄り掛かるように建ててあるのが面白いと思いました。



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「ゴールデン・ゲート・ブリッジ」

金門橋  チャーターバスでフィッシャマンズウォーフからゴールデン・ゲート・ブリッジに行きました。

 サンフランシスコとソーサリートのあるマリン郡を隔てるこの水道がゴールデン・ゲートと呼ばれています。

 ここに着いたとき、東洋人の観光客が「金色の橋かと思ったら赤いんだね」と英語で言っていたそうです。

 ガイドさんは「徒歩で渡れるけれど向こうまで行かずに途中で帰って来て下さい。」と言っていました。

 この橋は自動車で南向きに通過する場合に通行料を徴収されます。歩行者は無料ではないかと思います。

 この翌日、この橋を下から見上げながら太平洋に出ました。

 この橋は対岸からの眺めが素晴らしいと思います。


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「ケーブルカー」

ケーブルカー  サンフランシスコ名物のケーブルカーです。

 乗船日の朝、宿舎のマリオットホテルから近いユニオン・スクエアに行ったときのスナップです。

 前日案内してくれたガイドさんの話では1時間も2時間も並んで待って乗っているようです。

 ホテルのドアマンに道を尋ねたら「あんな物に乗るより歩いた方が速いですよ」と言っていました。

 今は3本しか残っていませんが、ここサンフランシスコは坂が多いので昔は東西南北に数十本も走っていたそうです。1906年の大地震で殆どの路線が廃止になりました。

 現在、廃線のあとはトロリーバスが走っています。日本ではトロリーバスが無くなって久しいので懐かしくなりました。



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「スカイ・プリンセス」

スカイ・プリンセス  クリスタル・シンフォニーが離岸して回頭し、ゴールデン・ゲートに向けて歩き始めた頃、サンデッキから撮った映像の一齣です。

 このスカイ・プリンセスでもデッキに沢山の乗船客が見えるので間もなく出港と思われます。

 この船は夏場はサンフランシスコをベースにアラスカクルーズに従事し、それ以外はアジア・オセアニア水域で稼動します。今年も4月に来日し、長崎・大阪・広島・室蘭に寄港しました。このとき出迎えたのでそれ以来の再会になります。10月にも同じ港に寄港する予定です。
シトマー・ラインが「フェアスカイ」としてフランスで建造した、今では珍しいタービン船です。

 背後の小高い丘は、昔入出港する船舶と無線通信を行っていた通信所があった処から「テレグラフ・ヒル」と呼ばれています。

 丘の上に脚部の見えるのは煙突ではなく、コイト・タワーと言う展望塔です。資産家コイト夫人が殉職した夫と消防士のために建造し寄贈したものです。



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「ポートオブコールビレッジ」

ポートオブコールビレッジ  ロサンゼルスの外港からサンペドロの主水路に差し掛かると右舷側に沿岸警備隊(USCG)の基地が静かな佇まいを見せています。

 水路を微速で前進していると左舷側のクラシックな木造建築物からラウドスピーカーで突然賑やかなご挨拶がありました。「クリスタル・シンフォニーの乗客・乗組員各位、ようこそロサンゼルスへ」と言う歓迎のメッセージに本船からは短一声の汽笛で答礼していました。

 ご存知の方も多いと思いますがロサンゼルスは名古屋と姉妹都市になっています。そのため名古屋の久屋大通りにハリウッドの「ウォークオブフェイム」のミニチュアがあり、幾人かの映画俳優・女優の名を刻んだ星形があり、噴水の水が名古屋とロサンゼルスの時刻を交互に表示しています。

 土産物屋やレストランが並ぶこの通りは「ナゴヤウェイ」と呼ばれています。

 背後の緩やかな丘陵地帯は海の見える高級住宅地となっています。



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「ロサンゼルス寄港」

寄港  水路を更に進んで行くと前方にビンセント・トーマス橋が近づいてきます。

 その手前に見えるのがロサンゼルスの客船ターミナルです。

 乗客は最初の寄港地を上から見ようとサンデッキに上がって来ました。

 皆、楽しそうに初対面同士談笑していました。

 ターミナルの奥に係船堀が掘り込まれてL字型になっており、そこにカーニバル・クルーズの「ジュビリー」が係岸しています。

 有料の吊り橋ビンセント・トーマス橋の奥にターニング・ベースンがあり、その更に奥に西水路・東水路が続いています。

 クリスタル・シンフォニーは橋の下を通過して回頭し、客船ターミナルに<出船>に繋ぎました。




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「ジュビリー」

ジュビリー  ご存知カーニバル・クルーズの「ジュビリー」です。この船はここロサンゼルスを母港として稼働しています。

 もう就航して10年以上経過しました。総トン数は5万トン弱とクリスタル・シンフォニーより僅かに小さい位ですが、乗客総定員はシンフォニーの2倍、1900名です。

 子供用の施設も用意されているので、初めてのクルーズとかファミリークルーズには好評の様です。

 この2日後、カボ・サン・ルーカスで見かけたのですがジュビリーは同地には寄港せず南下して行きました。

 この写真でサンペドロの街から続いているのはローリングヒルズのなだらかな丘です。

 我々はロサンゼルスと一口に言いますが、その平野部は関東平野に匹敵するそうで帰途案内してもらったグリフィス公園から見た夜景には圧倒されました。



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「クィーン・メリー」

クィーン・メリー  かつて、名門キュナードが誇った大西洋の女王「クィーン・メリー」にロサンゼルスで逢うことが出来ました。

 シンボルであるファンネルのキュナード・レッドは多少色褪せて見えましたが、さすがに堂々とした風格を見せていました。

 本船の船尾方向にある大型ドームに保管されていたハワード・ヒューズの木製大型飛行艇「スプルース・グーズ」はもういないそうです。半世紀も前に作られて試験飛行でたった1回、それも水面すれすれに飛んだ 宮崎 駿 のアニメに出てきそうな8発の巨人飛行艇ヒューズH4ハーキュリーズのことを知る人は少なくなりました。

 クィーン・メリーの入場券には大人・子供の他、退役軍人およびシニア(55歳以上)と言う割安切符があります。シンフォニーに乗船していたツァーコンダクター(30歳台の女性)が切符売り場でこのシニアチケットを渡されて文句を言って替えて貰ったそうです。

 見学を終わって帰るとき、この歩道橋からバンジージャンプを初めて見ました。タワーは写真の左外側にあります。