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英国諸島巡航(第8部)



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1999年8月17日(火)リバプール着0800出港2200・ドレスコード:カジュアル
憧れのリバプールに入港した。

早朝、C.シンフォニーはリバプールとバーケンヘッドを隔てるマージー河の河面に居た。

右舷に寄り添うタグボートの前方に見えるのは英国の造船華やかなりし頃の名門キャメル・レアードの造船所である。
この造船所のあるバーケンヘッドとリバプールとは、河底鉄道トンネル・道路トンネル・フェリー・渡船などで結ばれている。

ここはマージー河とはいうものの、英国諸島によくある幅の狭い湾のような水面である。
低質はゆるいヘドロが相当な深さまで堆積しており錨は利かないという。

リバプールは18世紀から英国造船業の中心であった。
キャメル・レアードも1828年(まだ鋼船ではなく萌芽期の鉄船の頃)に創業されて以来、幾多の艦船を建造してきた。
20世紀になってからも406ミリ連装主砲を3基前部に集中配置した異容の戦艦ロドネー、航空母艦アーク・ロイヤルなどロイヤルネイビーの主要艦艇や、名門キュナードの大型客船モレタニア(2世)など歴史に残る名艦船がこの船台からマージー河に進水したのである。
当時はこの水面に浮かぶブイや艤装岸壁に多くの新造船がひしめいていたことであろう。
いまは往時を偲ぶよすがもないが、多くの造船所が姿を消していったなか、現存していることに感慨を覚えた。
左の写真はリバプールのロード・メイヤーからの歓迎状である。
入港日付と「クリスタル・シンフォニー」の船名が読み取れる。
この歴史上著名な港リバプールに入港するのはクリスタル・クルーズとしても始めてのことである。

私がこのクルーズを選んだのは、ホワイトスターやキュナードが競合した大西洋横断定期航路の基点のひとつであるこの港を海から訪ねたかったのである。
滅多にリバプールに入港するクルーズはなかったのでクルーズアトラスでこのクルーズの話を見たときに即座に決めた。

私にとってリバプールは単なる寄港地ではない。
歴史上英国海運の重要拠点であったために、タイタニック就航の頃のホワイトスター社屋やクィーンズドックなど当時の建造物が現存しているほか、アルバートドックサイドだけでもマージーサイド海事博物館や、興味のある人にはテート・ギャラリーやビートルズ記念館など2・3日居ても時間が足りないくらいである。

特にマージーサイド海事博物館(MSMM)は凄い。
精巧な模型や史上著名な船の蒸気機関や艤装品などのほか、税関の展示物も奴隷貿易の頃の展示品も他では見られないコレクションである。
97年に訪れたときもこのMSMMだけで時間が足りなかった。

この図はアルバートドックを囲んで建っているビルの西側を占めるNMGM(National Museums & Galleries on Merseyside)のガイドブックの裏表紙から転載したものである。

ここのチケットは、マージーサイド海事博物館・英国税関博物館・リバプール生活博物館など8つの施設の共通入場券になっていて、しかも有効期限が一年間である。

これらの施設は必ずしもアルバートドック周辺にあるとは限らず、ドックサイドに隣接するテートギャラリーなどは8つの施設に含まれていない。

右の地図は "Liverpool and Merseyside Visitor Guide 1999" から部分転載したのもである。
市街地の中心部は右辺中央で、鉄道の駅はこの右手になる。
左辺の青い部分がマージー河で上辺が河口になる。
ここにはカンニングドック・ソールトハウスドック・ラッピングドック・クイーンズドック・アルバートドックなどが見えるが、この範囲外にもプリンスドック・キングスドックなど大きなドックがある。キングスドックの周辺はマリナーになっている。
現在はドックといえば排水した渠底で新造船を建造したり、修理・点検する船舶を入渠させるものを指すが、当時は干満の差の大きい港湾で潮位に関わりなく荷役その他の作業をするために航洋船舶を入渠させていたのである。
ロンドンのテームズ河にも同様のドックが幾つも造られていた。勿論、河底も定期的に浚渫されており入渠出来ない大型船舶は岸壁に繋船される。
地図の左辺上部に対岸と結ぶマージーフェリーの桟橋が見えるが、ここからさらに河口に大型船用の岸壁が続いていたのであろう。
マージーフェリーの桟橋の正面には、リバプールのランドマークにも例えられるツインタワーのロイヤルリバービルディングとリバプール港湾ビル、その傍らに19世紀から残っているキュナードビルなどが並んでいる。
赤白の派手な模様の煉瓦積みで知られたホワイトスター社の社屋も合併後キュナードの社屋となって現存している。
このドックサイドは一時寂れていたが近年再開発され、アルバートドックを中心に施設の充実が図られた。
代表的なのはマージーサイド・マリタイム・ミュージアムであるが、テート・ギャラリーやビートルズストーリーも人気である。リバプールといえばビートルズと言う人も多いが、その人たちは駐車場のあるクイーンズドックの側からアルバートドックの東棟に開設されているこのビートルズ・ストーリーを訪れ、出口近くのスーベニールショップで、ここでしか求められないビートルズグッズに迷うのである。
アルバート・ドックからリバービル、リバプール港湾ビルを望む。
手前の水面が戦時中は掃海艇などを係留していたアルバート・ドックで、中景右手の煉瓦造りの建物の1階から最上階までがマージーサイド・マリタイム・ミュージアムとなっている。
左側(マージー河寄り)はリバプールのテート・ギャラリーである。
ドック内には帆船が見えるが、その手前には港内遊覧のボート乗り場もある。
水面上に見える浮きは英国諸島(ブリテン島とアイルランド)を象ったものである。
画面右外にはテントを張った水上ステージがあり、99年に訪れた時には中年のバンドが演奏していた。
今回はあいにく、ひどい吹き降りでドックの水面は縮緬皺となっていた。
マリタイム・ミュージアムからドックの奥を振り向いた画像である。
正面の建物の地下に「ビートルズ・ストーリー」というミュージアムがある。
アルバートドックと言えばビートルズのこのミュージアムを指す人も多い。
日本では少額貨幣でも曲げたり潰したりは禁じられているが、イギリスでは観光地などで1ペニーコインを投入すると、その観光地の文字を入れてオーバルにプレスするコイン・プレス(?)が置いてある。
99年にここを訪ねたときに「ペニー・レーン」とプレスしたものを記念に持ち帰った。
湖水地方の「ピーターラビット記念館」とかブラックプールの「タワー」などにも同じようなものがあった。
これは表から見たアルバート・ドックである。
ドックの四周を取り囲む煉瓦造りのビルにはマリタイム・ミュージアム、テート・ギャラリーなどのほか、多数の土産物屋や飲食店が並んでおり、何時も賑わっている。

手前に見えるドックはソールトハウス・ドックと呼ばれている。
ここから画面左手にソールトハウス・ドックに続いてワッピング・ドックがありその河岸側は大きな駐車場になっている。

更に左手にクィーンズ・ドック、キングズ・ドックがあり、大規模なマリーナになっている。
このドックサイドの再開発でリバープールの大きな観光の拠点になった。

ロイヤルリバービルディング、リバプール港湾ビルなどの近くに残っているキュナードビルに再会できた。
中央やや右遠景の煉瓦造りのビルである。
それほど大きなビルではないが赤煉瓦に白のストライプがよく目立つ。
オリンピック・タイタニック・ブリタニックの姉妹船を建造した当時はホワイトスター社の社屋であった。
英国政府がキュナードとホワイトスターの合併を条件にクィーン・メリー、クィーン・エリザベスの建造補助を行ったことは有名であるが、その結果としてこのビルはキュナードビルとなったのである。
そのキュナードが外国資本に身売りすることになろうと想像した人など、当時は居なかったであろう。
泊地が河口のためヘドロが堆積しており錨が掛からないため、本船は2軸の推進器とバウスラスター・サイドスラスターで船位と方位を保持していたが、船体側面積の広い上に風が強いのでブリッジの当直航海士は大変だっただろうと思う。

少し前の船であれば船首・船尾の両舷をタグボートが押したり引いたりして、ブリッジで雨合羽を着たパイロットと手振りや無線で操船していたところであろう。

チャーターしたマージーフェリーで我々が帰船するときも風雨が強く、本船の右舷に回り込んだものの接舷出来ず、20分位水上で待機することを余儀なくされた。河口には珍しく白波が立っていた。

この日、我々2人のディナーはプレゴを予約しておいた。
今回のクルーズでは2度目である。

この刳り抜いたパンに入ったスープがとても旨かった。
この船にはメインダイニングのほか、イタリア料理の「プレゴ」と東洋料理(中華・和食)の「ジェードガーデン」があり、予約しておけば利用できる。
ここで食事をしても別料金は不要である。ただ、チップのサインをするだけである。

ここでも日本人の乗っているときは日本語のメニューが用意される。
料理もパスタもワインも相談すればお奨めをアドバイスしてくれる。
ウェイターも明るく陽気である。

プレゴはティファニーデッキの最後尾に当たる。
壁にはベニスなどの額が掛かっており、数人用の丸テーブルを含め40席余りである。

この日は婦人客が多いようであった。

肉も魚もサラダもワインもなかなかである。
ただし、デザートのジェラートはアメリカンスタイルだそうだ。

これはプレゴのテーブルから見たマージーフェリーである。
イギリスの天候は変わりやすく、傘は手放せない。
英国紳士のイメージはフロックコートにハットを被り、手にはステッキ代わりの傘を持っているが、あの傘は伊達ではないのである。
また、BBCで流されるイギリスの天気予報は実に大雑把である。いつ見ても南西から北東に風が吹いていて「曇り時々晴れ、所によって一時雨。」となっている。何時雨が降ってきて、何時上がるか予測出来ないからである。

プレゴの窓から見ると、リバービルディング・リバプール港湾ビル・それにホワイトスター社の社屋であったキュナードビルを背景に虹が弧を描いていた。

英国の夏の日は長く、この日の日没は20時37分であった。

やっと暗くなっりはじめて小一時間経ったころ、本船は次の寄港地アイルランドの首都ダブリンに向かって微速前進を始めた。
在泊中、本船の通船としてチャーターしていたマージーフェリーが関係者を乗せて舷側まで見送りに来ていた。

この年は1999年と言うことで、マージーフェリーの船内には大晦日に行われる「マジカル・ミレニアム・イブ・クルーズ」のチラシが置かれていた。
シャンペン・レセプションに始まる給仕サービス付きのビュッフェのメニューが載っていたが、ここでもベジタリアンのためのオプションが用意されるようである。
これでイングランドともお別れで、明朝は緑の国アイルランドである。