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1999年8月15日(日)インバーゴードン着0800出港1700・ドレスコード:インフォーマル
朝、船はマレー湾からクロマティ湾に入っていた。
マレー湾の奥にはインバーネスがある。有名なロホネス(ネス湖)の入口の街である。
今日の寄港地はそのインバーネスではなくインバーゴードンである。
マレー湾に口を開くさらに奥まった入り江クロマティ湾に面した街で、案内パンフレットによれば「スコットランドのハイランドを訪れる寄港地」とある。
そこのサルトバーンピアに繋船した。そのパンフレットには湾の奥にアドミラルティピア・セントラルピア・クィーンズドックなどが記載されている。
大型船だから入口のピアに着けたようである。
クィーン・エリザベス2、ロイヤル・バイキング・サン(現シーボーン・サン)なども寄港したときはここに接舷している。
彼は我々の到着を歓迎するために一人でバグパイプを抱えて、寒い中を早朝から待ってくれていた。 このタータンチェックはそれぞれのクラン毎で、一族独特のパターンを先祖代々引き継いでいる。伝統であり、誇りでもある。
ここでは寄港船を待ち受ける現地エージェントにもキルトを着用している人が居た。
本船の乗船客は殆どがアメリカ人なのでフォーマルナイトにキルトの紳士にお目にかかることはなかった。
今日の我々のショア・エキスカーションの出発は午後である。午前中は船内でゆっくりと過ごすことにする。
この写真はティファニーデッキの左舷側、ビストロの前から前方を望んだものである。
アトリウム越しに正面に見えるのはファッション・アパレルのアプロポスである。ドレスでもバッグでもボウタイでも揃っている。
下に見えるクリスタルデッキのアトリウムはクリスタルプラザと呼ばれている。船首側にレセプションカウンターがあり、右舷側にはクルーズコンサルタントやクリスタルソサエティのデスクもある。
左舷側はクリスタル・コーブである
アプロポスの左、階段の正面は貴金属やアクセサリのファセッツである。ここにはクリスタル・クルーズのファンネルマーク、シーホースロゴの入ったかわいい置時計などしゃれた小物がある。 ファセッツの左には通路を隔ててスーベニールショップ、キャプテンズチョイスがある。
Tシャツやパーカー、ピンバッチや土産物などのほか、日用品も置いてある。その通路を船首側に行くと映画劇場・ハリウッドシアター、カジノ・シーザーズパレスを経てギャラクシーラウンジに通じている。
キャプテンズチョイスの左はビストロである。 「REFLECTIONS」に「お寝坊さんのコーヒーとペストリー」と紹介してあるがカプチーノでもブラッディマリーでもニコニコしながら持ってきてくれる。
ここで読書をしている老婦人も居た。明るい窓際のテーブルもカウンターも良い。
そのカウンターは船尾側にある。 10人が座れる程であまり大きくはないが、いつも愛想のいいバーテンダーが居て居心地がよい場所のひとつである。
バーはメインバーのアベニューサロン・ビストロ・コニサールクラブ・クリスタルコーブなどのほか、カジノであるシーザーズパレス・ギャラクシーラウンジ・スターライトクラブ・パームコートなどにもあり、毎日「REFLECTIONS」にそれぞれの営業時間が掲載されている。
ビストロの船尾側中央エレベータホールを右舷に抜けるとスターライトクラブの前の通路が画廊になっていた。 オークションで売られているのである。
写真の前方(船尾寄り)にオークションボックス(せり箱)が設置されている。イーゼルは常設のように置いてあるので晴天の太陽光の下や、夜間の人口照明など環境によって変わるそれぞれの絵の見え方を確認することも出来る
写真はこの画廊を船首側に向いたところである。
この日のドレスコードはインフォーマルであるが、昼間は写真で見るように実にカジュアルな格好で遊んでいる。
ソファーにはお年寄りが掛けているが、クルーズでは何も持たず身軽な格好で何処へでも行けるのが良い。
疲れたら近くにソファーやテーブルはあるし、もし具合が悪くなっても診療所があり、医師も看護婦も居る。
仮に飲みすぎたとしても這ってでもキャビンに戻れる。
第一、移動するたびに荷物のパック・アンパックもチェックイン・アウトも必要なく、入国審査も通関もパーサー部門に任せておけばよい。
クルーズは良い。
これは灰皿である。
昨年だか、船内全面禁煙というクルーズ船もデビューしたそうであるが、ティシュボックス型の船のトランサム船尾板に描かれた大きな禁煙マークもあまり格好の良いものではない。
この船ではコニサールクラブという葉巻クラブが新設された。
私はタバコは嗜まないし、これを礼賛する気は毛頭ないが、愛煙家も居ることは事実である。人に迷惑にならなければ愛好家が限られたスペースで酒や煙草を嗜むことは認めても良いと思う。
この船には食事中に煙草を吸ったり、歩行中に吸ったりする人は居ないと思う。
それでもホールやラウンジの前にはこの灰皿がある。
ここに吸殻をねじ込む人は滅多に居ない。シーホースマークが崩れたのを見たことはない。
昼間のスターライトクラブである。 ウェルカムパーティ・フェアウェルパーティやクリスタル・ソサエティのパーティ会場として用いられるスペースである。
夕方以降はダンスタイムに使用されることが多いが、ディスコになったり、フォーマルナイトにはカラオケ大会が催されることもある。別項に述べたようにカウンターバーもある。
航行中はビンゴ大会や講演会場、停泊中はショアエキスカーションの集合場所にも使われる。
スターライトクラブの船尾側、後部エレベータの横から後方を見る。 右側はエンジンケーシングの壁である。
左側は手前からコニサールクラブ、メインバーであるアベニューサロン、ライブラリ・ビジネスセンター、コンピュータ教室が続き正面はブリッジラウンジである。
通路はそこで右に曲がってイタリアレストラン「プレゴ」に導かれている。
後部エレベータエントランス越しにジェードガーデンの入口を望む。今日の夕食は仲間でジェードガーデンを予約している。 中華料理や和食のレストランである。
日本庭園のような遣り水を石橋で渡って入ると、壁には掛け軸が掛かっていたりちょっと東洋風な雰囲気である。
このジェードガーデンもプレゴと同様、袋になっていて入口から出るしかない。
60席か70席程度の広さである。
後部階段である。 第一部でも述べたように、広くて足元に照明が点いており、パーティからディナーに移動する際も渋滞することはなかった。
確か壁には鏡が貼ってあり、後ろから急ぐ人が来るときなど振り返らなくてもそれが判るようになっていたと思う。
後部階段をサンデッキまで上がる。 左舷側はクリスタル・スパの入口である。
中には浴室がありマッサージも頼むことが出来る。
反対舷は美容室で、船尾寄りにはフィットネスセンターがある。エステティックなどのポスターやチラシがセットされていた。
右のガラス扉の外は最上甲板のサンデッキで、ここにはテーブルテニスのセットがある。 その前方はネプチューンプールを覆うカマボコ型のスライド屋根があり、更にその前にはウィンブルドンコートと言う名のパドルテニスコートがある。
サンデッキに出てみると北海油田で稼動するリグが係留されていた。 イギリスは北海油田の開発により石油輸入国から輸出国になっていたのである。
個人的にはセミサブリグによる海底石油掘削には非常に興味があるが、このページを見て戴いている各位には縁が薄いと思われるのでビデオからの写真を掲示するに止めることにする。
湾の入口に3基、アドミラルピアに1基、その中程に2基、クィーズドック辺りにもセミサブリグがおり、その間をワークボートや通船が行き来している。 アドミラルピアにいるものは、点検・調整中のためかヒールしていた。
ここのリグは一昔前、日本ので建造されていたものより一回り小型のように見えた。
稼働水深の差なのだろうか?
パームコートは一番船クリスタル・ハーモニーで評判がよく、二番船であるクリスタル・シンフォニーでさらに広くなった展望ラウンジである。 私もここが好きでこのクルーズでも、ティータイムにもバーアワーにもよく来ていた。
上の写真を撮った席から後方を振り向いたところである。 中央部にカウンタがあり、その前がダンスフロアである。
間に視野を妨げない低い椰子科の植木鉢などが配置され、展望窓に近い前方は少し低いフロアになっている。
クルーズ・アトラスなどに載っているアレンジメントでは何れもテーブルが配置されているが、乗船客の好みに合わせたのか現在は前後ともダンスフロアとして使われている。
IDカードとツァー・チケットを持ってショア・エキスカーションに出掛ける。 バスは長いピア橋を渡って、大きなスコッチウィスキー醸造所の脇をぬけてドルノッホの町へ向かう。
13世紀に建立された大聖堂の周りに広がった人口800人程度の町である。
かつては王家直属の自治都市であった。歴史を感じさせる古城も現存している。
ここにはチャンピオンシップゴルフコースと、美しい砂浜を利用したキャンプ場がある。
ロイヤルゴルフホテル・ドルノッホで素晴らしい眺めを楽しみながら紅茶とスコーンをご馳走になった。
ロイヤル・ドルノッホ・ゴルフクラブは名門コースである。 昨日見たセントアンドリュースのロイヤル・エインシェント・ゴルフ・クラブとよく似た印象である。
海辺の自然を活かしたところが共通している。
コースの向こうは川口の砂洲でキャンプ用のロッジが沢山並んでいた。
海辺のコースと地方道の間には腰掛け程度の石積みがあるだけで、キャンパーも一般の人も入場は自由に出来る。 例によって「ゴルフボールが飛んでくるかもしれません」と建て看板があるだけである。
ピアに帰ると10人程度のバグパイプチームが長時間、歓送の演奏を行っていてくれた。 彼らは本船が解纜し、回頭して出港するまで演奏しながら見送ってくれていた。