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英国諸島巡航(第13部)



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1999年8月22日(日)ルーアン 入港0200 ドレスコード:カジュアル
1999年8月23日(月)下船
船はルーアンの国際クルーズターミナルに接岸していた。

深夜2時頃、セーヌ河に掛かるコンカラ橋に舳先が当たるかと思われるほど寄せて、左岸に着けたものである。

河辺には倉庫やテントを利用した待合室があり、フランス・アメリカなどの国旗がEC旗とともに掲揚してある。

ちなみに、写真に見えるそのすぐ上流の路面電車軌条のある橋はジャンヌ・ダーク橋である。

写真の右手、右岸側が旧市街、左岸側が新市街である。

観光地図から複写した地図である。

左端、イギリス海峡に突き出たところがルアーブル、左端の灰色に着色されているところがルーアンである。
セーヌ河をさらに右に直線距離で2〜3倍遡って行くとパリに到達する。

河の蛇行はこの上流にも及んでおり、パリに出るとき自動車道が2度跨いで行った。

コンカラ橋の歩道から本船を撮ったものである。

結構交通量の多い橋であるが、待っていると車の途切れることがあった。

こんなところにクルーズターミナルがあることに少々驚いた。

離岸して回頭するところが見たかったが、我々は船上で一泊してパリに向かった。

クリスタル・シンフォニーの次の寄港地はポルトガルの首都リスボンである。

ノルマンディの首都ルーアンをビクトル・ユーゴは「百塔の街」と名付けた。

画家モネはルーアンの大聖堂に魅せられ、生涯の中で大聖堂の壁画に絵を描き続けた。

この街はオルレアンの少女、ジャンヌ・ダークが火あぶりの刑に処せられたことでもよく知られている。

この市場の通りを跨ぐ大時計は、造られたときから盤面に針は一本しかない。

ジャンヌ・ダークが処刑された広場に建造された教会の跡の広場には観光客向けの遊覧車や土産物屋で賑わっていた。

そばには市民の利用する食材市場があったので覗いてみた。
野菜や果物などマーケットを見てあるのは結構面白い。

スーツを着て鞄を持った会社員風の人が長いフランスパンを1本買ってすまして歩いていた。

広場に面した建物は数百年前のものから比較的新しいものまで様々である。
その中にはカーテンや室内の人物を丁寧に描いた4〜5階建ての建物があった。

ジャンヌ・ダークの火あぶりにされた場所には青銅の十字架が建てられていた。
写真の右手に見えるのがそれである。

その前の建物が礼拝堂である。
色と言い、形と言い、奇抜としか言いようのない建造物であった。

屋根の下に見える十字架の基部にはジャンヌ・ダークの石像がある。

街で見かけたポスターである。

「今世紀の大船隊」と称して、我々の訪ねた前月、10日間にわたって世界中から帆船・商船・艦艇が沢山ここに集結したそうである。

我々がシェットランド諸島ラーウィックで見たカッティサーク・レースに参加した航洋帆船の中には、7月9日から18日までここで開催された20世紀最後の国際パレードに参加した後、ノルマンディに隣接するブルターニュのサンマロからレースに参加した船も居たに違いない。

それにしても、沢山の船がこの内陸部の古都に押し寄せたら大変だったであろう。

橋の上から見たクリスタル・シンフォニーの正面である。

ブリッジの上のガラス張りがパームコートで、その上のサンデッキ前端からの眺めが素晴らしい。

写真では、船体前端のファッションプレートに描かれたNYKマークが鮮やかである。

岸壁に見える倉庫を流用したような煉瓦造とテントがクルーズターミナルで、画面の外に国旗やノルマンディの旗を掲げたポールが並んでいる。

本船の後が川下で、河口のルアーブルに通じている。

上の写真から少し動いて、左舷側を見たものである。
本船はクリスタル・ハーモニーと同様、リドデッキまで全通甲板は11層である。
プロムナードデッキの直下の第6甲板がギャラクシーラウンジなど公室エリアのティファニーデッキ、その下の第5甲板がクリスタルダイニングのあるクリスタルデッキである。このデッキの前部、角窓の並んでいる外舷部は乗客用キャビンとなっている。
プロムナードデッキ(7デッキ)からペントハウスデッキ(10デッキ)までがキャビンとなっており、リドデッキ(11デッキ)にパームコート・リドビュッフェなどのある公室が集まっている。
サンデッキ(12デッキ)には美容室やクリスタルスパがある。
バルコニー付きのキャビンは全室の半数を超える276室である。

本船の船尾越しにゴシック建築で有名なルーアンの大聖堂の尖塔が見える。

セーヌ河の対岸にはタグボートや艀が沢山繋がれていた。

クリスタル・シンフォニーの船尾船名表示の下には定繋港ナッソウの文字が見える。

クリスタル・クルーズの本社はロサンゼルスであるが、いわゆる便宜的置籍船で船籍はバハマに置いているのである。

23日の朝食を済ませてゆっくりと下船する。

当日オルリー空港から帰途につく人3便(黄色5番タグ)、パリのダウンタウンに向かう人5便(赤1〜5番タグ)、当日ドゴール空港から帰る人51便(青、紫、オレンジ、ピンクなどタグ11種)、個別手配の5グループ(白、茶、黄土などタグ5種)、クリスタル手配のポストクルーズホテル泊(緑、灰、青などタグ5種)、そのまま次のクルーズに継続する人など、荷物には80種近くの違うタグが付けられていた。一つ間違うと大変である。

下船口では、マーレン船長・ワッターズ社長など幹部が一人ひとりに堅い握手をして別れを惜しんでいた。

我々もエージェントの手配したマイクロバスで、パリのスクリーブホテルに向けて出発した。

停泊している本船を車窓からガラス越しにポケットビデオカメラで撮ったものである。

この後、マイクロバスは右折して自動車道に向かった。

クリスタル・シンフォニーとはしばらくのお別れである。