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英国諸島巡航(第14部)



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1999年8月24日(火)パリ・ロンドン(ヒースロー空港)
1999年8月25日(水)成田着
フロントガラスの割れたマイクロバスで自動車道を突っ走ってパリに着いた。

フランスの自動車道は走り方が乱暴で、パリの市内も車の運転は荒いし、歩行者は信号無視するし、あまり好きになれそうにない。

コンコルド広場からシャンゼリゼ通りを凱旋門まで遊覧して、マイクロバスの窓からビデオを流し撮りした。

このあと、「燦鳥」で昼食を摂った。久しぶりの和定食である。

サントリー系列の「燦鳥」でパリのガイドと合流する手筈であったが、平気で半時間くらい待たされた。

出かける前に、パリでは時間もルーズであると聞かされていたことを思い出した。

その路地からシャンゼリゼを望んだところである。

お上りさんついでにエッフェル塔も表敬訪問したが、遠望しただけで十分である。

ルーアンではそれ程でもなかったが、パリはロンドン程近親感がわかないのはどうしてだろう。

パリの街では都市計画が自慢のようであるが、私にはあまりにも人工的な感じが拭えない。

リュクサンブール公園の中に居た「自由の女神」像である。

誰かが「ニューヨークの自由の女神とどちらが本家か?」と聞いていた。

ニューヨークのものは、独立戦争に勝利したアメリカにフランスから寄贈されたと覚えている。

先日日本に来ていたのはセーヌに浮かぶ「白鳥の散歩道」と呼ばれる細長い島の先端に立っていたものである。

オリジナルは思ったより小さかった。

ノートルダム寺院の内陣を飾るステンドグラスである。

中も外も大変な人で、ここで仲間とはぐれてしまった。

フランス語は初めから覚える気はなかったし、持っているものと言えば僅かな円とポンドである。

寺院の出口で連れが現れるのを待っていた。

ノートルダムはセーヌ河の中洲シテ島にある。

地理的にはちょうどパリの中心部に当たる。

川幅は北側の主水路に較べて狭い。

その対岸には艀が係留されていて、レストランとかカフェなどが営業している。

その脇の狭い水路を観光船や水上バスが次々と航行している。

パリもいま、観光シーズンなのであろう。

また、水上バスらしい船が船着き場に寄ってきた。

この船は透明シートのオーニングが見えるが、飛沫避けと言うより、時雨対策であろう。

橋の上にも、河岸にも観光客が多い。

手前に見える艀には「カフェ」の文字が見える。
緑色の日傘が広げてあり、中心線には電飾が見える。
パリに住む知人の教えてくれたところによると、「カリフ・カフェ」と言うそうである。
以前、このすぐ横にあったという「キオスク・フロタン」というカフェでは、夜 ピアノとコントラバスのライブなどが行われていたそうである。

この船はダブルデッカーの観光船である。

パリのセーヌ河では、交通手段としての水上バス、ガイド付きの観光船、水上レストラン、ランチクルーズ・ディナークルーズなど様々なボートが居るようである。

それどころか、観光地図の表紙にはノートルダム寺院を背景にしたヨットレースの写真すらある。
俄には信じがたいが、可能性は否定できない。

24日昼前の便で、ドゴール空港からヒースロー空港に飛んだ。

ロンドン発成田行きの直行便に乗り継ぐためである。

ヒースローに着陸する前、BA機は立派な城の上空をかすめた。

咄嗟のことで確認は出来なかったがウィンザー城ではなかったかと思っている。

成田向けのBAのジャンボに乗り込んだ。

半月ぶりの帰国である。

11時間以上の長い空路であったが、殆ど揺れることもなく穏やかな飛行であった。

地球の自転と逆方向だから、所要時間は往路に較べて約1時間短い。

しらじらと夜が明け初め、やがて眩しい朝日が雲の間から顔を出した。

腕時計と懐中時計の時差を補正する。

成田着予定時刻は25日の09:00である。

楽しいクルーズであった。お世話になった沢山の方々に感謝しつつ、このページを閉じることにする。