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新造時の低い煙突のブレーメン
[Arnold Kludas: RECORD BREAKERS:Chatham Publishing :2000]

2.1 定期客船

ヨーロッパと北米を結ぶ北大西洋は定期船の表舞台であった。
最初の航洋蒸気船「シリウス」、「グレート・ウェスタン」が大西洋に挑戦したときから、乗客や貨物を呼び込むために海運各社間で熾烈な競走が続いていた。

「グレート・ウェスタン」は、のちに最初の鉄船「グレート・ブリテン」や巨大な「グレート・ウェスタン」を設計したイザンバード・キングダム・ブルーネルが最初に建造した外輪船であった。

ブルーネルは2002年にBBCが行った視聴者投票で45万票でトップになったウィンストン・チャーチルに次いで約40万票を獲得して「時代を超えて最も偉大なイギリス人」の第2位となったが、2004年の調査ではチャーチルを抜いてトップになった人物である。

19世紀後半に、大西洋を運航する海運会社のなかでブルーリボン賞が設けられた。
ヨーロッパ側の起点と、ニューヨーク港外に幾つかのポイントが定められ、その間を通過するに要した時間で平均速度を算定し、速度記録を保持する船舶をブルーリボン・ホルダーとすることにしたのである。
各社は推進用の蒸気機関とボイラーを並べた大型鋼船を建造し、残ったスペースに詰めるだけの石炭を積み、貨物や乗客に充てられた区画は限られていた。

19世紀末から海運立国を目指すドイツがイギリスに挑む競争が展開された。
「カイザー・ヴィルヘルム・デア・グロッセ」、「ドイッチュラント」、「クロンプリンツ・ヴィルヘルム」、「カイザー・ヴィルヘルムⅡ」が次々と更新する記録にイギリスが受けて立ったのが「モレタニア」、「ルシタニア」であった。
西航の記録を見ると1909年9月に「モレタニア」が記録した26.06ノットは20年近く破られることはなかった。東航も同船が1924年に更新した26.16ノットが最高記録であった。 これらの船は、高出力の象徴である4本煙突船であった。

第一次大戦に敗れたドイツは北ドイツロイドの「クロンプリンツ・ヴィルヘルム」、「カイザー・ヴィルヘルムⅡ」、「クロンプリンツェシン・セシリー」、ハンブルク・アメリカ・ラインの「インペラトール」、「ファーターラント」、「ビスマルク」など多数の船舶を戦時賠償として取り上げられた。

「クロンプリンツ・ヴィルヘルム」は米海軍輸送船「フォン・スチューベン」、「カイザー・ヴィルヘルムⅡ」は同じく米海軍輸送船「アガメンノン」、「クロンプリンツェシン・セシリー」も同じく米海軍輸送船「マウント・バーノン」、「インペラトール」は英キュナードの「ベレンガリア」、「ファーターラント」は米ユナイテッド・ステーツ・ラインの「リバイアサン」、「ビスマルク」は英ホワイト・スター・ラインの「マジェスティック」に変身を余儀なくされた。

建造中であった船舶も賠償に指定され、ブレーマー・フルカン造船所で起工された、ツェッペリンという予定船名の北ドイツロイドの客船はイギリスにとられ、オリエントラインのオルムズとして運航されたのである。

しかし、幸運にもダンチヒのシーシャウ造船所で建造中であった3万トン級客船は賠償から免れ「コルンブス」として竣工した。

この船が大西洋航路に就航し、好評を博したので、北ドイツロイドは1926年に2隻の客船を起工した。両船は契約後に当初の3万5千総トンから5万トン級に設計変更された。これはブルーリボンを狙うためであった。
排水量型船舶の出しうる速度は、その船の長さによって決まる。これは有名なフルード則と呼ばれるもので、出来上がった船の速度を上げようとエンジンの出力を2倍にしてもあまり意味がない。

この船の設計には船舶工学の専門家だけでなく、建築など他分野のデザイナーが総力を上げて取り組み、主任設計者のシュヒティング博士が基本設計をとりまとめた。

    (工事中)