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ブルーリボンを獲得したオイローパ |
[Kurt Ulrich: Luxusliner :C.J.Bucher :1997] |
飛行機が出現するまでは、船舶が海外に渡航する唯一の交通手段であった。
この事実は、常により大きくより速い船舶を追求することが純粋に経済的必要性に対応するものであったことを物語っている。
この観点から見るとブルーリボン -即ち北大西洋を最も速く横断したことに対する非公式な賞- の争奪戦が、果てしなき技術進展を反映していたことが判る。
しかし、特に1930年以降、国家の誇りでもあり、国防上政策上からも、納税者の収めた税金を、速度記録を目指す定期客船の開発と建造に気前よく使うための大きな力になっていた。
だが、ブルーリボンとは何であろうか?
なぜ、今なお我々を魅了するのであろうか?
それに、この賞をめぐって海運各社がそれほどまでに激しく争ったこの競争を規制していたルールは何であったのか?
それにもし、実際にそのルールがあったとして、なぜこれほどまでにそれに興味を持つ多くの人たちを失望させるような混乱が生じたのであろうか?
すでに多くの著者が、このような疑問への解答を試みて失敗しており、多くの専門家が異なった議論で賛否両論に分かれている。
事実、ルール自体実に単純で、ちょっと考えればすぐに説明できてしまう。
まず第一に、ブルーリボンは決して公式な賞ではなく、如何なる学/協会や官庁から一度も授与されたことも承認されたこともない。
ブルーリボンは、ブルーペナントにように明文化されたことはなく、その船の船長がブルーリボンを授与されたことも、それを掲げたこともない。
その競争が、一度も公式な規則に則って行われたことのないことも、また事実である。
1935年に寄贈されたヘイルズ・トロフィーが、その後も公式な賞として記述されたことはない。
当時、主としてジャーナリストによって詳細に観測された「ルール」は明文化されていなかった。
記録樹立航行は新聞、なかでもニューヨークでよく知られた話題であったが、主として大西洋横断において、この大きな国際都市の著名な報道陣によって、事実上審査員のように報道され、その海運会社と船長は、どこにも書かれていないルールを順調に達成したことを確信したのである。
その条件は何処にも明記されていなかったが、長い年月のあいだに徐々に確定され、関係者のあいだで暗黙の了解事項になっていた。
ブルーリボンという名称は、競馬の世界から借用されたもので、1890年前後に報道関係者によって、最初に北大西洋横断記録航行に適用され、20世紀初頭まで一般に用いられることはなかった。
それまでは、単に「記録航行」と書かれていた。
事実、北大西洋定期航路に参入した最初の旅客船シリウスに、グレート・ウェスタンが打ち勝った1838年という遙か以前から横断記録は存在していた。
ちなみに、同船の速度はシリウスの8.03ノットに対して、8.66ノットであった。
旅客船がブルー・リボンの栄誉を勝ち得るために満たさなければならない条件とは一体何であったのだろう?
第1に、そのときブルー・リボンを保持している船より速い平均速度で大西洋を横断しなければならなかった。
第2に、記録を樹立する横断は西航、すなわちヨーロッパからアメリカへ渡らなければならなかった。
このことは、既にブルー・リボンがいくつか矛盾した文書を含む、多くの著作物のテーマとして取り上げられて以来述べられている通りである。
事実、多くの出版物がこの2つの条件を考慮に入れておらず、このことを理解するために多くの事実を考えなければならなくなっている。
手短に、所要時間と速度という用語について考えてみよう。
所要時間は、この場合2点間を横断するために要する経過時間であるが、操舵されるコースによって変動する。従ってそれだけではその船が、他船より速いかどうかを決めることはできない。
これに対して平均速度は、船旅に要する時間の長さと言うよりも、ロープの結び目1つ(1ノット)の誤差以内で求めることが出来、標準的尺度としてその船舶が実際に横断した平均速度が取り上げられる理由である。
このほかに様々な横断時間を比較する、より論理的な方法がありそうに思えるが、旅行する乗客の立場からすると結局、ほかの船より早く目的地に着くことが重要なのではあるまいか?
このことを念頭に置けば、ブルーリボンに関するすべての記録のなかで計算された速度は、ただ外洋で航海した部分、すなわちその船が蒸気を沸かして全速で航走した範囲に限ったものであることを理解することが重要であることが判る。
当然、異なる出発点によって目的地への距離も異なり、従ってどの船も単純な時間測定では短いコースを取ることになる。それで公正に結果を比較する唯一の方法はその船の速度を計測することになる。その上に、表示されている時間は話のほんの一部である。いずれの場合も、洋上の計測点と港内の停泊位置のあいだを移動する多くの操船時間が除外されている。
横断時間という単純な表現で素人が船の速度を理解しようとすると誤解を生じることになる。
例えばブレーメンは1929年に、その記録を樹立した航海を達成するのに4日14時間30分を要しているが、それはその船が実際に(ブレーマーハーフェンでなく)シェルブール沖からニューヨークの泊地に到達した時間ではなく、単にシェルブールの防波堤からニューヨーク港外のアンブローズ燈台船の間を全速で走り抜けた時間を記録しているだけであると理解する必要がある。その航海のうち入出港で低速航行する時間や、手間の掛かる接岸や繋留操作は毎航多くの時間を費やしても全く記録時間には含まれていないのである。
定期航海で、殆どの乗客はおそらくこのようなレコードタイムが外洋航走の持続時間に関わっていることに気がつかないと思われる。その例を挙げれば、ブレーメンのレコードタイムは平均27.83ノットを達成しているのであるが、予定平均速度は26.25ノットにしか過ぎず、実際にはその26.25ノットは、おそらく同船が時折遭遇する荒天やその他の悪条件で低速になる場合も考慮して設定されたものである。
高い平均速度は、記録達成の航海で最高速度を発揮できるときにのみ達成可能なのである。
ここに横断時間という単純な表現に関する、別の疑わしい事例を紹介しよう。
フレンチライン(C.G.T.)とキュナード・ホワイトスター社が、1935年に定期客船ノルマンディとクィーン・メリーに関する共通スケジュールで秘密裏に、もし実際にそれが達成できない場合でもなんとか、その船を4日で航走できる船として認め合うことを申し合わせた。
これらの船の予定速度は28.5ノットで、それはシェルブール・ニューヨーク間を4日半で走ることを意味していた。
その横断が、5日で走る船より優位に立つことが難しいような場合には、出発時刻あるいは到着時刻を、それが達成できなかったことが乗客や税関に判らないように、出来るだけ夜中になるように設定するというものである。
どんな場合にも、真夜中に運航することは出来なかった。それにも関わらず、その船会社は宣伝で「4日で航走」と謳いたかったので記録航行ではときに30ノットを超える平均速度を出していた。シェルブール・ニューヨーク間を横断するこの速度でさえ4日で達成することが出来なかったので、キュナードとCGTは記録航行の出発点をニューヨークの方へ190浬西の英国海峡入り口のビショップ岩礁燈台に変更した。
このことによりちょうど4日で横断を達成することが可能となり、シェルブールからビショップ岩礁までの190浬で航海の時間が6時間あまり長くなると言う異論を無視し、ニューヨーク沖での操船の間にさらに5時間前後の停船時間をおくことが可能となった。
第2の条件は、ブルーリボンとしての大西洋の速度記録は、東から西への方向のみしか認定されないということである。
これはカリブ海流(ガルフストリーム)に逆らって西風に打ち勝って走らなければならないので、より難しいコースとなる。
反対向きにアメリカからヨーロッパへの方向であれば、運がよければ追い風に遭うこともある。公正な競争は、すべてに対して同じ条件のときにのみ可能であり、記録のルートを一方向に限ることは基本となる。その他の勘案すべき事項は別にして、これで2隻の船が同時にブルーリボンを獲得したと主張する可能性を回避することが出来る。もし、そうでなければどうやってそれを判定するのであろうか?
西向きの記録をブルーリボンの1級とし、反対方向の記録を2級に評価するという意見があるかもしれない。もし、1隻の船が両方の記録を達成したら、さらに検討しなければならなくなる。
もちろん、どちらの方向の記録でも価値のあることである。誰もそれを否定することはないであろうし、その業績は東航の航行記録簿に記され得るものである。それにも関わらず、最も速い船としての明確な判定であるブルーリボンはそれ自体、可能なかぎり公正な状態で比較した賞なのである。
アスレチックで公正さを求めるための類例を挙げれば、100メートルスプリントの新記録は、等しく認められたある強さの追い風なしで達成されたときのみに有効であることと似ている。
このような文書化されていない規則に賛成や反対の多くの議論、ブルーリボンの研究と文献で示されている条件などと併せ分析して、この偉大な非公式トロフィーが競われたルールであると考えている。
(工事中)