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英国諸島巡航(第11部)



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1999年8月20日(金)グァンジー島(セント・ピーター港)入港1200出港1800 ドレスコード:インフォーマル
今日は当初の予定では終日航行日であったが、クルーズが始まってからグァンジー島に寄港が決まり、正午にセント・ピーター港に錨泊することになった。

上陸は午後になるので午前中はのんびりしたものである。

ティータイムは画面奥のクリスタルデッキのクリスタルコーブか、その上のティファニーデッキのビストロか、リドデッキのリドカフェでも良いが私はパームコートで展望を楽しみながらコーヒーを飲むことが多かった。

クルーズも終盤に近づいてレセプションカウンターに立ち寄る人も多くなった。


天気も良いので昼はデッキランチにした。

それ程広くはないが、街角のテラスのようにリドビュッフェの外にテーブルが10基余り用意されている。

穏やかな海面に延びる航跡を眺めながらの食事も悪くない。

暖かいせいか、この日はテラスに出てくる人がいつもより多かったようだ。

ウェイターが気をつけていて、コーヒーのお代わりを勧めてくれたりする。


セント・ピーター港沖に錨泊すると、既にボートダビットを降り出して用意されていたテンダーボートが卸されて、エンジンを始動しテンダーステーション周辺に待機している。

テンダーゲートでは乗船カードを通して上下船するが、今回はこの乗船カードにバーコードが表示されていて、係員の持つハンドスキャナで認識出来るようになっていた。

クリスタルシンフォニーの場合、テンダーの数が多いので客捌きの効率がよい。
この艇は船底が平坦でビーチにそのまま乗り上げて、乗船客は足を濡らさずに上陸することが出来る。
小さいように見えるが、収容人員は百を大幅に越える。


グァンジー島巡りのショア・エキスカーションに参加した。

添乗員は、船上では毎晩ご婦人のダンスのお相手をしているアンバサダーホストである。

現地のガイドが乗らないバスツァーではアンバサダーホストが添乗するのである。

今回も4人乗船していたが、何れも品と風格の漂うナイスシニアであった。

聞いた話によると採用条件はそれなりに厳しく、しかも無給だと言うことである。


チャンネル諸島はイギリスの最南端であり、海水浴場が多い。

ここは島の北部のペンブロークベイの海水浴場である。

海水浴場と言ってもシャワー設備や脱衣場があるわけではない。

キャンピングカーなどで家族で来て、シートを敷いたり、風除けにしたりしている。

背景のヨットは遠浅でも航行出来るカタマラン型である。


ここは先の大戦で唯一ナチスドイツに占領されたところである。

いまでも要塞や監視哨の跡や、「ドイツ軍地下軍事病院」と言った建造物がそのまま残っている。

地理的にはフランスのノルマンディの海岸から数十キロの海上にあり、島に住む人もフランス系・ドイツ系の人も居るようである。

地名も看板もフランス語系のものが多い。


途中で休憩した駐車場の看板である。

この島の主要産業は観光であるが、観光案内地図などには貴金属加工業の広告が目に付く。

ここで真珠が採れるのだろうか?

B&Bという民宿も多い。

島は小さいが、我が国で言うと沖縄、韓国では済州島のような島なのであろう。


さすがにガーデニングの国だけあって、どこも庭の手入れは行き届いている。

芝生にはしばしば芝刈り機が掛けられ、いつも何かの花が咲いている。

このクルーズで訪ねたところでも北緯60度以北のシェットランドから、北緯50度以南のチャンネル諸島(とは言ってもこの緯度は北海道と樺太を隔てる宗谷海峡より北にあたるのだが・・)まで何処でもそうであった。

イギリスは日本と同様、国土面積はあまり広くないが、来てみて判ったことは起伏はあるが山や森林がないのでその面積が殆ど100%使えることである。
それで小さな家でも必ずその家に見合った庭がある。

前庭に小さなロータリーのようなものがあった。

小さな字の説明を読むと、サイダーを作るためにリンゴを潰して搾る石臼であった。

中心を通る軸に大きな石の円形ローラーがついており、これを家畜に挽かせたものらしい。

気がつかなかったが、島には今でも林檎の木が多いのであろうか?


ブルース・ラッセルという貴金属細工の店に立ち寄ったとき、駐車場の向こうから飛行機が離陸していった。

肩翼双発ターボプロップの近距離旅客機である。
フォッカーのF28・フェローシップらしい。

空港は島の西南より、セント・ピーター港から数キロの所にある。
滑走路は東西方向1本のみで、長さは1キロ余りである。

ここのティールームで美味しい紅茶とスコーンをご馳走になった。

島の内陸部に、小さな礼拝堂があった。

ミニチュアのようで、その前に来ても人間が入れるとは思えなかった。

資材のない僻地で、住民が勤労奉仕で作ったものらしい。

近寄って判ったのであるが、外壁も内陣も陶器片や貝殻できれいに装飾されていた。

勿論電気も引いていないので中は暗い。

手探りで入ってみた。

たまたま持っていた小型カメラで暗がりの中で目を慣らして2・3駒撮影したが、帰ってDPしてみると白の内陣はきれいに装飾されていた。

祭壇には花も生けてある。

それも枯れたり萎れたりしていないので近所の人が気をつけて供えているのであろう。

煤で汚れるので蝋燭などは点灯しないように壁に注意書きがあった。