淡水の思い出(1)
淡水河は台北から台湾海峡に流れ出る大河である。
概史にも述べたように19世紀にはジャンクが台北の萬華()地区まで溯り、淡水河沿岸の貿易量は台湾随一であったという。
カリフォルニア(USA)に在住するCさんは淡水から萬華まで蒸気船が運航されていたという。
1897年には日本郵船が淡水・福州航路、淡水・香港航路を開設し、1899年には大阪商船も淡水・香港航路の運航を始めた。
淡水には税関もあったし水先人(パイロット)も住んでいた。
しかし、徐々に河床の堆積がすすみ、大きな中洲が出来て大型船の入港が困難になり、1909年頃航路は運休されることになった。
1940年代に、近所の何家族かで(サンパン)で中洲に蟹を採りに行ったことがある。
淡水河の低質は泥で、河岸にはマングローブの茂みがあった。
潮が引くとシオマネキ(潮招き)という片側だけ鋏の大きい蟹や、有明海のムツゴロウに似たハゼが這っていた。
その蟹を採って砕いて塩辛にするのである。
洋式のボートは進行方向に背を向けて座り、両手でオールを引いて進み、和船は横向きになって左舷船尾の艪を漕ぐが、(サンパン)は前向きに立って両手で櫂を押して進むのである。
大人が蟹を採っているあいだ、子供達は水溜まりに残された小魚やヤドカリを捕って遊んでいた。