この画は、引き揚げて何十年も経って思い出しながら父が描いた地図の一部である。
当時はまだ中山路の道路計画もなかったので、公会堂から狭くて舗装もない路が長老派教会の裏手を下りていた。
新店街から油車口の方へ向かう道路を隔てて郵便局の大屋根があり、その河口側に郡役所や税関の建物があった。
赤い数字の書いてあるのは父の註記で、載っている範囲で書くと
1: 資生堂(広瀬)
2: 台銀支店長
3: 塩屋(黒川)
5: 多田商会(文具)
6: 東洋館(野島)
7: 木下画伯
8: 酒屋(庄)
10: 街長宿舎
12: ドグラス(中野)
13: 郡守宿舎
14: 谷 善次
16: 鬼頭商会
17: 市場
とメモされている。
ドグラス(中野)というのは太古洋行のダグラスから不動産を引き継いだ中野金太郎氏のことであろうか?
こちらはノートに記載されていたメモで、上記のほか、淡水小に水田、淡水女子公に小石と校長名があり、公会堂には原田の文字があり、有坂中学校長の名も見える。
街役場の右に見えるのは本願寺の住職、荒操天である。
これらで見る限り、両親が二階を借りていた塩屋の黒川さんは役場より小公園の方にあり、河を背にしていたことは間違いなさそうである。
この1936年当時の淡水の街路図にも黒川義夫の文字が見える。
「塩」「煙草」「酒」など、当時専売品であった取扱看板のあるこの写真の建物は現存する。
しかし、区公所(鎮公所)のほぼ対面にあるこの建物は上掲の塩屋とは位置も向きも違う。
当時の淡水に専売品を扱う店が複数逢ったとも思えない。その後移転したのであろうか?
これは現状の写真である。