陶笛屋の横の中正路11巷という路地を抜けると環河道路に出る。
右に曲がった先の中正路15巷は電信局と郵便局の間の路地であった。
戦前からここには淡水郵便局があった。
いま、中華郵政の環河道路に面した建屋はスターバックの郵便局カフェになっている。
郵便のイメージカラーは日本では赤、ドイツでは黄であるが台湾では緑である。
ここに幅20メートル程度の砂浜が残されている。
戦前、気象観測にあたっていた複葉・単浮舟・福座の零式水上観測機が着水に転覆してロープを結んで、ここで引き上げ作業が行われたことを思い出した。
その先にも木陰のカフェが営業している。
大きな榕樹があるので「榕堤」という看板が掲げてあった。
右に隣接しているのは観光客用のインフォメーションセンターらしい。
亜熱帯なので椰子の木が高い。
戦前も街のなかに高い椰子の木が立っていた写真がある。
「榕堤」の河岸側はインドネシアのバリ島を思わせる外装であった。
榕樹の陰に入ると、昼間でも暗い。
枝から下がっている髭根が地表に届くと、そこから根を張りぐんぐん大きくなって幹になる。
日陰で語らったり釣り糸を垂れている人も居た。
ハイビスカスは四季を通じて咲いているようである。
仏桑華とも言うが、台湾のハイビスカスはハワイの物ほど大きくなく、色も赤のみである。
雌蘂が高く突きだしているのが特徴で、ランタンのように細かく別れた花弁が反り返ったものも栽培されている。
中正路に出た。
観潮廣場という野外ステージが設けられていた。
正面は淡水藝術工坊である。
手前の潅木に沢山取り付けられているのは発行ダイオードらしい。
観潮廣場ではステージの準備が行われていた。
日曜日なのでイベントがあるらしい。
少し戻ると長老派教会の正面に出た。
以前は路地の奥であったが、中正路に面した建屋が撤去され、階段とスロープのついた廣場になっていた。
馬偕博士の頭像のあるロータリーはすぐ傍である。
手前のAMMANDA喫茶店のある場所には、鄭博士の生まれた興亜醫院があった。
MRT淡水駅でコインロッカーに入れておいた手荷物を持って台北に向かった。
中山駅傍の牛乳大王で一休みして、台北駅傍の国光客運のバスで桃園国際空港に向かった。
桃園の第二ターミナルで広島空港行きのチャイナエアに乗って帰国した。
淡水の方々に歓待された素晴らしい故郷帰りであった。
皆様に心からお礼を申し上げます。