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癸巳淡水紀行(5)

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午後4時、新北市淡水区公所に行くと、2階の会議室に案内された。

そこにはボストンUSAの鄭博士、3年前訪問したときに台北まで迎えに来てくれ、当時の鎮公所や淡水國小、三芝国小まで我々を乗せてくれ、暗くなる頃台北まで送ってくれた博士の叔父夫妻、学童数千人の淡水國小の校長を務めた陳淑女女史などが来ていた。

やがて淡水鎮長から新北市淡水区長になった蔡葉偉博士が会場に現れて歓迎会が始まった。

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蔡区長の歓迎の挨拶は、いま兵役について和平公園の一滴水記念館のガイドをしている呉在鈞氏が和訳してくれた。

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その後、鄭博士がプレゼンテーションツールで戦前の淡水の状況を説明していた。

画面上、淡水会会員歓迎とあるが今回は、三年前に里帰りした鄭宏銘氏、呉信祐氏、それにもし福田マキ子さんが同行してくれるなら淡水会のメンバーも参加してくれるかもしれないと、「淡水人の集い」としてウェブで提案したものであった。

終戦後淡水からの引揚者有志の会合である「淡水会」のメンバーは一時は300名を越していたが、現在は百名程度である。

一昨年までは、毎年開催されていた。

幹事が会場を設定して案内状を出していた。
開催地で集散が基本であったが、毎回2泊で行われていた。
初日は淡水会の総会で、翌日は淡水小学校同窓会といった名目であったようだ。

一昨年は三重県の湯の山温泉で2011(平成23)年10月18/19日に行われた。
このときは呉さん稲垣さん我々親子を含めて17名参集したが、翌年は開催されなかった。福田マキ子さんの話によると在京の数人は頻繁に会合をもっているという話である。
マキ子さんは、いつも娘の典子さんと出席すると言うし、マキ子さんが行けば2〜3人は同行者が出るかも知れないと期待していた。

しかし、マキ子さんは9月に白内障の手術をうけたこともあって今回は断念すると連絡があった。

稲垣さんは親御さんや妹さん親子と淡く水に墓参に行くというので現地で再会することができた。

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席上、蔡区長からメンバーそれぞれに淡水榮譽區民證書が手渡された。
蔡区長と呉さんの受證記念写真である。

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稲垣さんの淡水榮譽區民證書は鄭博士が代理で受け取った。

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福田マキ子さんと恭子の淡水榮譽區民證書は純子が代理で受け取った。

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そして、それぞれに今年新たに編纂された淡水鎮志(3分冊)が贈られた。

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さらに黄仁傑氏の撮影した横枠写真「印象淡水」(淡水區長 蔡葉偉 敬贈)も戴いた。

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新北市淡水区の職員も退庁時間後まで一時間余り付き合ってくれた。

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鄭博士の右は、父 研一が帰台したときにお目に掛かった陳淑女女史である。

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そのあと、中正路の福来レストランで大きなテーブルを囲んで食事会となった。
鄭博士には大変ご馳走になった。
区長は都合がつかないので歓迎会で通訳をしてくれた呉在鈞氏が代理で出席してくれた。
氏は日本の大学で菓子造りを学んだそうだ。
兵役が終わったらパティシエとして店を持ちたいと話していた。

油車口で描いていた著名な楊三郎氏の美術館(新北市永和区博愛街)の夫妻も同席してくれた。

私は榮譽区民證書を戴くようなことはしていないのに、淡水の街の人たちが祖母や両親の頃の縁を覚えていてくれているためにこれ程歓迎して貰えるのであろうと感謝するばかりである。

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2013年11月28日 15:16に投稿されたエントリーのページです。

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