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流川教会

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日本基督教団広島流川教会は、ミッションスクール広島女学院の母体となった教会で、原爆被爆時には上流川源太堀角にあった。

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被爆時に屋根は吹き飛んだが修復されて戦後も使用されていた。
この写真は電車道路を隔てた中国新聞社屋から撮影されたものである。

鐘楼の右に平地が見えるのが幟町小学校の跡地である。
我々が基町の市営住宅に転居したときには木造バラックの校舎が建っていた。
広島に初めて設けられたという伝統のわりには校庭も狭かった。

写真中央奧に見える黒ずんだ2、3階建てのビルがNHK広島局(JOFK)であった。その広島局から北側に新たに校地が設けられ、木造二階建ての校舎が建設中であった。
その北に広島女学院の高校と中学があった。

4年生の終わりに幟町小学校の移転が終わり、5年生になるときにクラスの新編が行われ、松組になった。松・竹・梅・櫻の4組で各クラスとも六十数名であった。

流川教会は1970年ころ小学校の近くに移転した(上幟町11番3号)。

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そして、かって流川教会のあった場所は駐車場となり、そこから電車道までのスペースには酒造メーカーが庭を造り、池では田植えが行われていたが、いまでは錦鯉や亀が遊んでいる。

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2013年08月15日 10:01に投稿されたエントリーのページです。

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