5月8日に本欄を更新した翌日、ちょっとしたアクシデントに遭い、救急医院や外科、内科のお世話になっており、更新も滞って居りました。
お詫び申し上げます。
体調も従前のように復旧致しました。
一部の方にはご心配をお掛けしたことを申し訳なく思っております。
そんな中、嬉しいメールも届きました。
淡水公学校(淡水東国民学校)の教頭を務められていた三原宝映先生のお孫さんからの連絡でした。
祖父の三原先生は引き揚げた後、愛知県にお住まいになっていたようですが、お父さんが広島に転勤になり、広島駅からほど近い大須賀町に住み、私の母校である幟町小学校に通われていた様です。
淡水在住当時、三原先生は淡水公会堂の傍にあった、神学校の近くに住んで居られたと思います。引き揚げのときは、我々と同じように海防艦であったのか、大陸沿岸沿いに迂回したリバティ船であったのか、聞いておられないかもしれません。
が、ともかく淡水に住んでいた世代から古き良き時代や、戦後の窮乏時代に我々を育ててくれた苦労話などを伝承しながら世界中に居る「淡水人仲間」と連絡をとりあうことが出来るのは有難いことと感謝しています。