第三回は駅前周辺を探訪する。
まず、驚いたのは駅前にタクシー会社が軒を連ねていたことである。
私の幼い記憶では、人もあまり居ない駅前に人力車の梶棒を下ろして車夫が日陰に腰を下ろして客待ちしている情景が思い出される。
従って、タクシーの車庫だとか点検整備のための作業所を想像することが出来ない。
駅の河岸側には「施合発」の貯木場などへの引込線があり、製材所や倉庫が並んでいる。
淡水の税関は外航船を対象として、英国領事館前の河岸にあったから鉄道輸送のための「出張所」もあったのであろう。
「施合発」が一時は国内トップの材木業者であったことは知ったが、「老義発」というのは木材を扱う商社だったのであろうか?
その「老義発」に隣接して「浄土宗布教所」が描いてある。
父のメモにも、この辺りに荒操天という住職が住んでいたと記されているが、本願寺派かと思っていた。
駅前通りには川口運送店の隣に「雷俊臣」という人物は、初代の洪以南、二代目の呉輔郷に次いで三代目の淡水街長を勤めていた人である。
煙草販売店を経営し、淡水公学校の教師を務めたこともあり、淡水街協議会員で淡水街評議員であった。
街長を勤めていたのは1926〜1929年でその後、多田栄吉氏(1930〜1933年)が四代目街長となり、この地図に描かれている1936年には五代目の鳥井勝治氏が街長であった。
その先の林清海商店というのは何を商っていたのか判らないが、筋向こうに胡萬精米部という文字が見える。
当時の米穀店では、台湾在来の米を改良した蓬莱米も、船便で取り寄せた内地米も扱っていた。
なお、この地図は薬局を含む商店や医院などと共に、女子公学校、小学校、淡水女学校、淡水中学校は載っているが、不思議なことに淡水公学校は載っていない。