クリスチーナが戦前の淡水の資料が大変多く載っているウェブサイトを教えてくれた。
作成したのは、2010年11月27日に挙げた「小公園」にコメントをくれた吉川太一郎氏である。
淡水郵便局の河岸に建っていた洋館は何であったのかという問い合わせであったが太古洋行の上屋であったものを中野金太郎氏を経由して淡水郵便局の別館になったと返信したところ、台湾師範大学の曽氏の論文を教えて貰った。
1944年10月12日に爆撃されたとき、空母イントレピッドからの第18攻撃隊により撮影された淡水の写真も複数載っている。
上掲の地図はそのなかの一齣で1936年に中国商工地図が集成し、1998年に柏書房が復刻したものである(赤文字は氏の追記による)。
両親が一時二階を借りていた塩屋の黒川さんは黒川義夫さんであったことも判った。
時間を掛けてじっくり読もうと思う。