時刻表世界史(曽我誉旨生著:社会評論社2008年刊)に1941年(昭和16)年の大日本航空発着時間表が載っている。
この図は上図の台湾の部分を少し拡大したものである。
台北と表記されているのは松山空港のことであろう。
内地との連絡は福岡空港との間に隔週1往復(土曜日発、火曜日着)のほか那覇空港から毎週1往復であったが、台中・台南経由馬公に毎週3往復、花蓮港経由台東に毎週3往復運航されていたようである。
当時の渡洋航行は船便が主流であり、航空機を利用するのは特命による役人の出張などに限られていたのであろう。
1940(昭和15)年には横浜と、同図で右に見えるサイパン・パラオと淡水に定期空路開拓のための試験飛行が行われたが、定期便が運航されることはなかった。
但し、海軍の97式飛行艇が横浜とマニラとの間に週1往復運航されていた。