曽氏のレポートに掲載されていた淡水河の離着水コースを示す図である。
台北寄り(竹囲側)と河口寄り(海水浴場「和樂園」側)にそれぞれ3000メートルのコースが描かれている。
中洲を避けて直線コースを設定できる水面に設定されたもののようであるが、私の記憶では川西の飛行艇も零式水観も淡水街と中洲の間を使用していた。
河岸寄りにプロットされた赤点は飛行艇を繋留するために設置されたブイ(浮標)で、曽氏が付け加えたものである。
郵便局や当時の郡役所の近くに設置されていた。
出典は「1936年佐世保海軍航空隊『淡水測絵図』」である。