昨日の本欄に旧い写真を載せたら、クリスチーナから直ぐ「私の父の洪年栄です。」とメールがあった。
呂添得氏が、前島先生と洪年栄氏と父を繋いでくれていたのである。
1991年9月に第24回の淡水会で淡水に行ったときには25名くらいの中で最年長ということで団長にされてしまったと言っていた。
一泊目は現地の人たちの歓迎会があり、80人もの人が参加してくれ、大宴会のあと全員で起立して淡水公学校の校歌を大合唱になったという。
当時、淡水国民小學の校長であった陳淑女先生が盛装で参加され、テーブルを回るときにも付いて回ってくれたという。
台湾では乾杯と言うと本当に飲み干すのであるが、飲まされ過ぎないようにという配慮である。
このときの写真は妹の家にある。
そして2010年の秋、私たちが淡水を訪問したときに、陳先生は多忙な中から昼の部にも夜の部にも出てくれて乾杯することが出来た。
博士にも現地で合流したKGさんにも大変お世話になった。
ボストンの博士とも、カリフォルニアのLCさんとも、横浜のKGさんとも、淡水のクリスチーナとも何か絆で結ばれているのを感じる。