昨日のこのブログで淡水古蹟博物館が発行した「滬道日安」の写真に言及したところ、曽さんから「あの写真と記事が間違っている」と連絡を貰った。
同誌には「1941年の淡水水上機場」と載っているのであるが、1941年と言えば零式艦上戦闘機が既に前線に配備されていた時期であり、複葉双浮舟の三座偵察機はいかにも古い。
あの写真は1929年の基隆の海水浴場に繋留された佐世保海軍航空隊の十四式水上偵察機(サ53、サ55)であると知らせてくれた。
この写真で胴体後部と垂直尾翼に「サ53、サ55」の文字が読める。
十四式水偵と言えば、横須賀海軍工廠で開発され、1926(大正15)年に制式採用された水上偵察機で機体略番はE1Yであった。
第一線を退いてからは練習機として使用されたほか、払い下げられて民間機にも使われていたらしい。
ブログを書いていて、たまに連絡を貰うと嬉しいものである。