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終戦直後内地から飛来した川西大艇

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大日本空輸の川西大艇「神津」(J−BACT)が1945年9月9日の朝7時半、横浜を離水した。

戦後混乱期の台湾経済を支援するため日銀の保証する台湾紙幣2トンを緊急輸送するためである。

艇体は全て白色塗装され、主翼と艇体側部には誤認されないように連合軍側から指定された緑十字の標識が描かれていた。

乗務員は、大堀機長、越田操縦士、佐々木航空士、武宮・加藤機関士、鈴木・某通信士の7名であったという。
鹿児島、沖縄上空を通過して15時50分に着水、郵便局のそばに繋留された。
上述の写真がその白塗りの川西飛行艇である。

この現金輸送飛行は2度おこなわれたらしい。
「神津」が2回航行したのか、もう一艇の候補であった「巻雲」(J−BACZ)が飛んだのかも知れない。

2010年11月27日の本欄に、よしさん(yosh3@mail.goo.ne.jp)と言う方からコメントを戴いた中に「終戦直後の緑十字飛行でこの港の前に停泊している飛行艇の写真を見ました。」とあったので調べて見ると「航空と文化」(http://www.aero.or.jp/web-koku-to-bunka/2011.04.15koshida.htm)に、当時操縦士として乗務した越田利成氏が記述していた。

そこから拝借した写真である。

終戦直前にこの上屋に住んでいたことがあるが、当時は紅毛城前の烽火に移っていた。

このほか、海軍の残存九十七式大艇も白い塗装に緑十字をつけて南洋方面でマラリアなど苦しむ将兵のために食糧や医薬品を空輸している。

コメント (2)

曾令毅:

淡水水上飛行場の研究
http://www.th.gov.tw/files/taiwan63_2/0632_4.pdf

bremen:

台湾師範大学の曽令毅さんから、その研究レポート「航空南進(淡水水上機の設立と発展)」のURLを提示して貰いました。
このレポートには緑十字飛行艇のほか、東港から淡水に配備された水上爆撃機とも呼ばれた水上偵察機「瑞雲」の活躍についても述べられています。
 ちなみに曽令毅さんは淡水在住だそうです。

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2013年03月18日 11:30に投稿されたエントリーのページです。

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