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来し方(0)

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別のブログで2005年の5月に「生い立ちの記」を書き始めた。

私が戦後初めて、生まれ育った台湾の淡水に行ったのは1995年3月のことで、そのときはクルーズ船で航き、基隆からタクシーで紅毛城まで行き、まだ開通前のMRT駅前をちょっと歩いただけであった。
その次に行ったのは2002年末から翌年に掛けて別のクルーズ船で、やはり基隆に行ったときで同じように日帰りであった。
空路渡台したのは、その一年後に福岡からルックJTBの3泊4日で、このとき初めてMRTに乗ったのを憶えている。
2004年頃から毎年のように台湾を訪れ、淡水の街を歩き回ったが、引き揚げたのが6歳になったばかりのことでもあり、龍目井と言っていた地名がどの辺りか、何処が新店街なのか、砲臺埔が何処なのか皆目判っていなかった。
街の主要部はすっかり変わっていたが、戦前の老街の面影を残すところもあった。
丘の上に登る石段があれば公会堂に通じているのではないかと朧気な記憶を辿ってみたりした。
当時、家族として一緒に住んでいたマキ子さんや、ブログで知り合ったボストンの博士やカリフォルニアのLCさん等に教えて貰いながら当時のことが随分判って来た。

2010年には博士に台北まで迎えに来て貰って、公学校であった淡水國小や、鎮公所(街役場)、それに三芝まで連れて行って貰った。
一緒に行った横浜のKGさんにもお世話になった。

それから、このブログで散発的に当時のことを書いてきたが、淡水の新店街のクリスチーナは、新北市淡水区となった現地の状況を知らせてくれるようになって喜んでいる。

他のカテゴリと重複するが、新しいカテゴリを作って当時の状況を眺めてみようと思う。両親や祖母が渡台した当時のことは関連が出てきたところで触れることにして、私が生まれたところから話を進めることにする。


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2013年03月11日 17:40に投稿されたエントリーのページです。

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