油車口の和平公園の傍に、ゴルフ場に隣接して滬尾砲臺がある。
この砲臺は1884年10月にフランス軍が上陸(清法戰爭:撃退)のあと、海岸防備のためにドイツ人工兵大尉マックス E.ヘヒトを招聘して1889年に構築された。
コンクリートで長辺およそ100メートル、短辺80メートルほどの堡塁を築き、4隅に12インチ/10インチのカノン砲や21サンチ榴弾砲を備えており、堡塁の下は砲臺に続く隧道が設けられ、地下に火薬庫や兵員居住区などが設けられていた。
中庭は操練を行うほか、炊烹所や倉庫も建てられていたが、さいわい実戦に使われることはなかった。
この写真は「植鉄の旅」(http://liondog.jugem.jp/)というページから転載したものである。
砲臺の台湾海峡に向いた北西隅の12インチカノン砲台座から南に対岸の観音山を望んだもので、ちょうどその方向に劉銘伝の字で「北門鎖」と銘板のある正門がある。
の胸壁に砲弾型の凹みが見える。実際に砲弾を置いていたとは考えにくい。装飾なのだろうか?