2010年9月29日に淡水に帰り、CHMさんやKGさん達と鎮公所(現:区公所)を訪問したあと、その入り口のステップから中正路を撮った写真である。
淡水信用合作社の向かい側の「許明祥命相館」と看板の立っているところが戦前、黒川さんが塩屋を営んでいた建物である。
現在は、店舗も変わっているようであるが、建物は隣接する建屋と同様、当時のままである。
このときはCHMさん、KGさん、現地の皆さんに大変お世話になった。
これが戦前の、ほぼ同じ区画を撮った写真である。
すっかり変わってしまったところもあるが、同時のままの建物が残っているところもある。
戦前の古蹟を復元し保存しようという地元の努力も払われ整備されている。
清朝の税関吏邸の建物は戦後、お化け屋敷のように荒れ果て、1990年代に廃棄されることになったが地元有志や学者の熱意で古蹟として残った。
一方、1937年に新街に出来た淡水劇場は、歌仔戯、新劇、特技団や無声映画を上演していたが、1944年の爆撃にも生き残り、1947年の228事件のときには、ここで集会も行われた。
LCさんの知らせてくれたところでは、1995年に内装の工事中に焼失してしまった。1994年1月に淡水劇場は古蹟として保存することが決まっていたのに、2005年に鎮公所は焼跡を撤去すると公表した。
驚いた古蹟保存団体は取り壊しを見合わせるよう要請したが、鎮長は古蹟審査会の同意も得ないまま1月20日に取り壊しを開始した。1月24日に文化局古蹟調査委員が現場に到着したときには瓦礫の山であったという。
昔日の淡水街の町並みや建物を保存して欲しいが、街が大きく発展しようとするとき、旧街区の再開発が必要な場合もあろう。
兼ね合いとは難しいものである。