許文龍氏と胸像の物語を引き続き読んでいる。
後藤新平、新渡戸稲造、浜野弥四郎のあとに環境型ダム二峰を構築した鳥居信平の話が載っている。
彼は「台湾精糖」が潮州郡の未開の地に地下堰堤「二峰」を完成させ萬隆農場を開設し、力力渓の伏流水を利用して大響農場の灌漑工事などを行った。
パイワン族、ルカイ族、ブヌン族など高砂族の生活している荒廃した地に水源を求め、原住民の頭目と義兄弟の契りを結ぶなど現地の人たちと一緒になってこれらの大工事を完遂した。
高砂族の頭目から「おまえは立派な顔をしている。その首を家に飾りたい。」と真面目に申し込まれて、「まあ、待て。この仕事が終わったらくれてやっても良い。」と言う剛胆な人物だったらしい。
彼がその仕事に取り組んだのは、農科大学を出て数年の三十を過ぎたばかりだったという。
一気に読み上げて、ふと見ると友愛第12号に平野久美子、丁澈士、鳥居徹、原田英之などによって書かれた記事が載っていた。
鳥居信平も凄い人物だったには違いないが、これだけの成果を上げるためには台湾精糖も行政もその大事業を託し、それなりに支援したからであろう。