昨日入手した許文龍氏と胸像の物語を読んでいる。
山岡淳一郎氏の後藤新平、楠木榮氏の新渡戸稲造の項でも台湾の近代化に貢献した両人や当時の台湾のことについて知らなかった多くのことを知った。
今日は稲葉紀久雄氏の筆になる浜野弥四郎の項を読んだ。
浜野弥四郎は、その師バルトンとともに台北、基隆、台南など主要都市の水道事業を行い台湾をペストやコレラ、マラリアの流行る土地から衛生的な市街地にした「都市の医師」である。
(淡水は浜野の着任より前に、牧野實主任技師が手掛けて台湾で最初に上水道が整備され、淡水街長官舎には台湾で最初に水道が引かれている)
内地に引き揚げたあと、広島に辿り着いて父が苦労して水道事業に関わったこともあり、感銘深く読んだ。
許文龍氏が最初にデッサンから粘土の原型をつくった初めての胸像だそうである。
(台南市山上郷浄水場と後藤新平記念館にある)