淡水和平公園は、新北市淡水区になるずっと以前から蔡葉偉鎮長や、鄭宏銘、郭芳瑩、林國峰など各位による淡水和平公園後援会によって、砲臺や忠烈祠(淡水神社)に近い油車口に設置が企画され、実現されてきた。
1999年9月21日に台湾で大地震が発生したときに、その数年前に起きた阪神大震災を経験した人たちが復興を手伝うために渡台した。
そして、築後90年以上経った福井県の古民家が解体されるときに、この日本家屋を台湾に再建する話が持ち上がった。
解体されるときに、作家水上勉氏の父親が大工の棟梁として建設された建屋だと判ったが、再建場所も決まらないまま基隆の倉庫に置いていたためにシロアリなどの損傷が出始めたが、やっと油車口の忠烈祠前に整備される和平公園の一角に再建されることになった。
最近、グーグル・マップを見ると砲臺や忠烈祠の傍に「和平公園」と載っていた。
淡水一帯の攻防戦で亡くなったスペイン人、オランダ人、清法(仏)戰爭で亡くなったフランス人、暴風で遭難した日本人水兵、大東亜戦争で亡くなった淡水人などを弔うために、数珠を掛けて合掌した慰霊碑も建っている。