LCさんから、また懐かしい当時の写真を送って貰った。
「『淡水線の汽車の思い出』を送ります。
戦前、戦後にかけて淡水から台北への交通は専ら汽車に頼った。死語になった乗合自動車、バスの便もあるにはあったが利用した覚えはない。竹囲から淡水までは四キロ、そのアスファルト舗装は未完成のままだから、当時の状況が推し量られる。
淡水から台北まで石炭炊きの蒸気機関車がノコノコと四両編成の列車を曳いて走る。単線だから途中の駅で反対方向から来る列車を待って『離合』する。淡水発一番列車は6時で深夜の12時まで、ほぼ1時間ごとに発車する。乗客の少ない時間帯では単輌のガソリン・カーが利用された。距離にして22キロを一時間もかけて、汽車は関渡トンネルを抜け、円山鉄橋を渡り、台北の裏駅に面した第三プラットホームに悠長に辿り着く。微笑ましき、古き良き時代の回顧の一齣である。
淡水駅に到着したら、いそいそと下車する乗客を尻目に連結を外して、蒸気機関車は百メートルも先にある給水塔を目指して行く。給水を終えた機関車は列車の先頭に回って出発を待つ。客車と一緒に来た貨車があれば、後に残して荷降ろしをする。
荷降ろしを終えた貨車を押して移動する労働者を淡水駅で撮ったのは、写真入門して間もなく、1960年代の初期で、カメラは当時一番シャープなレンズを誇る、いまは無きAIRES「アイレス」ブランドだった。フィルムはコダックのXXX PANで、露出はたぶん1/250秒で、絞りはf=8.0程度、D67標準現像で、引き延ばしは硬調に仕上げて人夫の筋肉感を狙った。トリミングにあたって、押す方向を少々上にあげて登り坂として工人の苦労を強調した。
その結果がご覧の写真です。」とある。
私も暗室で現像・定着して、それを印画紙に引き伸ばししていた頃のことを思い出した。
LCさんには何時も感謝している。