「古い写真」
LCさんから、昔の淡水の写真が送られてきた。
「淡水の『下町』と呼ばれた淡水河岸に沿った古い商店街は汽車の駅から延々と数百メートルも続いています。
戦後、中正路と名付けられた淡水の旧街道は狭く、二度の『市区改正』で広げた道路の幅も押し寄せる大型の乗用車の波には抵抗しきれず、中山路を淡水公学校前から元公会堂の裏までのバイパス『新生路』を建設して中正路の交通渋滞の解決に努めました。
バイパスの新設で犠牲になったのは私の大好きな遊び場『杉塊庭』や多数の古典民家と元小学校で後に幼稚園になった記念すべき建物だったのです。
『市区改正』で道路が拡張された分だけ中正路の商店街の奥行きが浅くなりました。
その損失を補うためか川辺沿いに『環河道路』と称する散歩道が建設されました。
そのお陰で店舗が建物の両端に出来て、川に面した商店の持ち主達は笑いが止まらないことと思います。
『環河道路』建設前の川岸は商店街の裏で、建物が波打ち際まで迫り、荷物の積み上げには三協成餅舖(三協成菓子屋)の横、『屎仔渡頭(公共便所の波止場)』と鎮公所横の『汽船仔渡頭(汽船波止場)』の二つが利用されました。
1950年代『屎仔渡頭』で撮った冬瓜荷揚げのこの写真は当時の模様を良く捉えています。
引き潮で小船は岸から遠く、五人のリレーで冬瓜を岸に運んでいます。
左奥に僅かに見えるのは河面に映った観音山の影です。
記念すべき、古き良き淡水の下町風景の一齣です。」
とある。
貴重な影像をありがとうございます。