淡水では戦前の建造物や施設を復元/保存する事業が着々と進められているが「木下静涯記念公園」もその一つである。
木下画伯は、台湾四画伯の一人として台展審査員などを務めておられた。
しかし、教壇に立つこともなく見晴らしのいい高台に居を構え、雨後の観音山の色紙や仏桑華の短冊などを描いておられた。
戦後、我々と一緒に引き揚げられ、北九州で百歳の天寿を全うされた。
当時、小公園の裏の紅楼の近くに住んで居られた。
そこに上がるためには狭い階段や坂を登らなければならなかったが、最近建屋を撤去して立派なエントランスが出来た。
園内には、画伯がよく言っていられた「好日好日、又好日」の文字が刻まれている。
こうして現在の淡水の様子をすぐ知らせて貰えるのも有難い。