1946年まで臺北に住んでいた加藤壽子さんが思い出を辿りながら描いたり直したりした博物館前の通りの商店街の配置図である。
当初の台北駅正面の通りであったが、再建された台北駅が移動したため一筋違っているが当時台北でも菊元デパートもある繁華街であった。
当時のことを良く憶えている方に教えて貰って、殆ど知らなかった戦前の淡水のことが少し判って来た。
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*** 当ブログは2014年5月末に引っ越しました…新しい「淡水」ブログはこちらです ***1946年まで臺北に住んでいた加藤壽子さんが思い出を辿りながら描いたり直したりした博物館前の通りの商店街の配置図である。
当初の台北駅正面の通りであったが、再建された台北駅が移動したため一筋違っているが当時台北でも菊元デパートもある繁華街であった。
当時のことを良く憶えている方に教えて貰って、殆ど知らなかった戦前の淡水のことが少し判って来た。