父のノートの一部である。
街役場の右(駅の方向)にある「荒」とは本願寺があったところであろう。
住職の名前は荒操天と言った。
街役場の左にある「多田」さんは文房具店で、曽城という番頭さんがいた。
少し離れて黒川さんの営んでいた塩屋さんが描いてある。
「鬼頭」とあるのは鬼頭亀吉さんの営んでいた雑貨店、鬼頭商会である。
その横の「広瀬」は雑貨商、資生堂の広瀬 信さんである。
「谷」とあるのは陸軍少尉、谷 善次さんで、「庄」と書いているのは酒屋の庄 信雄さんである。
その左に「公園」とあるは三角公園あるいは小公園と呼ばれていたロータリーである。
「谷」「庄」「広瀬」の上に「木下」とあるのは木下静涯画伯であり、その上に「公会堂(原田)」とあるのは、このメモを書いて行くうちに相対位置がずれたものである。
「淡水女子公」は無論、女子公学校のことで、「小石」は校長であった小石光彦先生である。
その横の「淡水小」は小学校で「松田」は松田常己校長である。
その傍に「有坂」という文字が二箇所見えるが、淡水中学の有坂一世校長で、おそらく外人墓地の左に見える「淡中」の構内に官舎があったのかもしれない。
「粟井」、「関口」に隣接して描いてある「野島」氏は、雑貨商「東洋館」を営んでいた。
その傍に淡水の土地や建物を所有していた「中野」金太郎氏の名も見える。
「郡役所」の脇に「狩野」とあるのは、当時郡守であった。
「伊藤」と書いてあるのは台銀淡水支店長の伊藤勝太郎氏である。
「神学校」のそばの「三原」は、淡水公学校(淡水東国民学校)教頭であった三原宝映先生である。
「木村」とあるのはパイロットの木村氏であろう。
淡水神社の「小笠原」は小笠原清禧宮司である。
コメント (1)
ご無沙汰しております。その後、いかがお過ごしでしょうか。お父様のメモ、非常に興味深く拝見しました。また、ご説明文の詳しさにも感激しております!ありがとうございました。
投稿者: 片倉佳史 | 2012年04月12日 18:59
日時: 2012年04月12日 18:59