1900年前後の十年間、淡水は台湾の貿易額の6割以上を占める貿易港で、税関が置かれていた。
しかし、基隆の港湾整備が本格的に行われた結果、その税関業務は基隆に置かれた税関支署に移された。
1900年に淡水税関長の中村純九郎が発起人になって作られた「五十会倶楽部」が税関事務所を再生させ、談話室や遊技場、食堂が設置され、会員が読書、囲碁、撞球、卓球、水泳、庭球などに興じていたという。
一説には淡水税関の「五十会」と「商船会社倶楽部」が共同で、あるいは両社が統合されて「五十会倶楽部」になったという。
その「五十会倶楽部」は、台湾で初めての淡水海水浴場、台湾ゴルフクラブなどを建設し、昭和天皇の即位大典(1928年11月10日)記念行事として寄付金を募り淡水公会堂を建てた。
これらの設備は当時の淡水街が管理し、嘱託に委任していた。
淡水の文化発展に及ぼした五十会倶楽部の功績は大きいものであった。