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ツェッペリンNTとの遭遇(広島に住んで:17)

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2006(平成18)年6月10日、初めて準硬式飛行船「ツェッペリンNT」が広島に飛来した。

この「ツェッペリンNT7型」はZLT社 ( Zeppelin Luftschifftechnik GmbH Co KG )の「D−LZZR:ボーデンゼー」を購入したもので、2004年3月2日に購入契約に調印、6月12日にフリードリッヒスハーフェンで引渡式が挙行された。

6月13日からヨーロッパを飛翔し、7月にはシベリアを航行して8月下旬に札幌(石狩新港)に到着する予定であった。

しかし、同日ドイツ、スイス、フランス、ルクセンブルク、イギリス、ベルギー、デンマーク、スウェーデン、フィンランド、チェコスロバキア、モナコ公国、イタリアを巡る欧州フライトは実施したものの、8月25日にロシア横断を断念し、12月9日にイタリアのジョイアタウロ港でオランダの特殊貨物船「ドックエクスプレス10」に載せられて出港し、スエズ運河、紅海、アラビア海、インド洋(12月23日にはスマトラ沖地震に遭遇)、マラッカ海峡、南シナ海、ルソン海峡、太平を経て、2005年1月7日に神戸のポートアイランド港で陸揚げされた。

1月14日に神戸から名古屋の万博会場に移動し、19日に基地となる桶川に到着し、同年2月に国内運航を始めた。

広島に飛来したときは広告宣伝飛行を行っていた時期で、そのときは自動車メーカーの「BMW」の大きな画が掲げられていた。

広島の出島地区にはコンテナヤードの脇に更地の埋立地があり、ここを繋留点にして何度も飛来した。
しかし、この「ツェッペリンNT」は従来百人単位で必要とされていた地上支援員が2、3人で済むので運航コストの低いことがキーポイントであったが、関東や関西からマストカーや地上クルーや、大量のヘリウムボンベを積んだフリートが走り回るような運航形態で採算の見通しをどう考えているのか疑問を感じていた。
しかも、乗客定員12名であったのに、遊覧飛行でも座席を2、3外して運航していた。乗客定員が数百名のジェットライナーならともかく、僅か12席しかない乗客用座席を一つ外しても売り上げが1割近く減少することは自明である。

その後の経過は周知のとおりであるが、下記のように実にあっけない幕切れであった。

ちなみに、フリードリッヒスハーフェンの基地をベースに運航されている同型船の運航は順調に続いており、昨年5月には合衆国のグッドイヤーから3隻の「ツェッペリンNT−101」型の新造契約を受けた。
第一船は2014年はじめに竣工の予定である。

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飛行船運航事業へ投資を行ってきた日本郵船は、2007年4月2日に(株)日本飛行船の保有株式全株を朽木汽船に売却し、飛行船事業から撤退した。

一方、国土交通省東京航空局は2007(平成19)年5月31日に(株)日本飛行船へ航空運送事業を認可し、6月には施設検査に合格し、遊覧飛行が可能となった。

11月23日、就航記念式典が行われたが、第1便、第2便は強風でキャンセルされ、初便はナイトフライトになった。

その後、関東や関西で2〜3時間の飛行を実施していたが2010(平成22)年5月31日に(株)日本飛行船は自己破産し、「ツェッペリンNT」は直ちに解体された。


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2012年03月19日 09:56に投稿されたエントリーのページです。

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