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飛行船と独書原典(広島に住んで:16)

LZ126_Patoka.jpg

趣味として飛行船(特に硬式飛行船)の研究をしている。

2004年、当時の東京海洋大学(旧東京商船大学)で開催された造船関係学会に出席したときに、当時ワールド・シップ・ソサエティの日本代表を務められていた府川氏に招かれて泊めて貰ったことがある。

そのとき、府川氏から戴いた一枚の絵はがきが硬式飛行船研究の奇縁である。
米海軍の飛行船母艦「パトカ」が飛行船「ZR3:ロサンゼルス」を繋留している写真であった。

それから硬式飛行船に興味を持ち、調べ始めた。
合衆国のグッドイヤー・ツェッペリンからフリードリッヒスハーフェンに派遣されていたハロルド・ディックの「グラーフ・ツェッペリンとヒンデンブルク」(英文)は非常に参考になったが、さらに内部の詳細や開発の経緯が識りたくなり古書の物色を始めた。

2006年の秋に、ツェッペリンのタバコカードアルバムを紹介された。
それまでに持っていた独文文献はバーバラ・ヴァイベル女史の「ツェッペリンの乗客になって」という大判で鮮明な写真の掲載されたハードカバーのみで、東京八重洲の書店で、在庫処分として半額で売られていたのを見つけたものであった。

ヴァイベル女史は2010年に素晴らしい写真集「LZ129:ヒンデンブルク」をエアフルトの出版社から刊行した。

ちょうど、カルチャーセンターでドイツ語講座が始まった頃で、それから独書原典とのつきあい(格闘?)が始まった。

そのころ飛行船に関する邦書がなかったわけではないが、その内容たるやお粗末なものが殆どであり、これは原典に当たるより方法はないと考えたのである。

2002年に設立された日本飛行船(株)が2005年1月に準硬式飛行船「ツェッペリンNT」を日本まで海上輸送した頃で、広島にも飛来していた。


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2012年03月18日 09:53に投稿されたエントリーのページです。

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