大学には学生用コンピュータ端末を60台程度揃えた情報教室が6号館に2教室、7号館に3教室、2号館や9号館には階段教室があるだけでなく、ゼミで複数のコンピュータを接続したり、インターフェースの実習が出来る教室もあり、設備は充実していた。
移籍後まもなくインターネットの接続も行われた。
児童教育学科のほか日本文学科や英語・英米文学科、それに短期大学の秘書科や生活科学科も含めて、コンピュータ・リテラシーなども授業も行われていたが、情報教育の設備は充実していた。
図書館にもマルチメディア室も整備された。
児童教育学科、情報教育コースの学生は優秀であった。
2年生になると、当時の通産省が実施していた情報処理技術者試験の2種に合格する者もいた。
コンピュータの基本構成や作動原理まで授業を行い、研究費で25ピンの端子切替の出来るテスト用接続ケーブルやテスターなども準備して演習に用いた。
情報教育コースの第1期生が4年生になるときに赴任したのであるが、そのとき入学したクラスの担任をしたので、これが第4期にあたると思う。
ゼミは3年生から配属されるのであるが、第3期、第4期から地元の就職先の人事担当から「男子より優秀」と言われたときは嬉しかった。
児童教育学科・情報教育コースの教育はとてもやり甲斐があったが、長く続けることが出来なくなった。
文学部にくわえて新学部が発足することになったからである。
その学部は情報、外国語、経営を3本柱に計画された。
新学部のカリキュラムなどの準備作業も忙しかったが充実した作業であった。
その学部が発足し、第1期生が3年生になるときに退職することを決意した。
その大学で満十年勤務し、永年勤続表彰まで貰っていたし、3年生になってゼミを引き受けると卒業まで(あるいは卒業後まで)責任をもって指導せねばならないが、先のことはわからないと思ったのである。
その新学部も発足して、今年で十年経過し今春、祝賀会の招きを受けた。