入社して7年半、造船設計部に勤務したあと、12年あまり構造強度の研究に従事し、
10年あまり制御研究およびシステム技術の開発に従事してきた。
人事異動と職場移転について振り返って見る。
通常に業務を遂行している場合、人事異動は本人にとって好ましいものではない。
新しい職場に移り、上司や同僚もどんな人物か判らず、そんな環境で新しい業務に習熟して行く必要があるからである。
しかし、経験の幅を広げる意味と、本人の適性にマッチした職場や業務を捜す意味で人事交流は行われる。
技術部門の場合、昨今非常に細分化されているので、土木建設分野から電気部門に移転したり、機械科専攻の者が化学分析に移ったりすることはない。
造船技術者の場合、社内に複数の造船所があれば設計部門相互、あるいは工作部門相互の人事交流や、造船技術者の幅を広げ、あるいは建造工程近代化のために設計から現場などへの人事もあるかもしれない。
しかし、私が就職した頃、コンピュータはやっと開発試行段階から業務に使われ始めていた時期であり、専門教程に関連する講座はなく、参考に出来る書籍も限られていた。
企業がオープンプログラマ制を取っていたことでアプリケーションプログラムを書いては居たが、関連する情報が少なく常時アンテナを張り巡らせる努力が必要であった。
その点、専門職制である制御研究室には学会、シンポジウムの開催案内やコンピュータ部門の雑誌など様々な情報に接することが出来た。
それともう一つ、人との接触や交流があり、本社や長崎研究所の専門家と会議などで同席する機会もあった。
やはり専門職制というのは違うと思った。
人事に関することについて・・・。
新卒で入社して以来、定年までその職場で過ごす人もいれば、頻繁に転勤する人も居るが、電子計算研究室(制御研究室)に3回も転入し、3回転出した人が居る。Mさんである。
私より年次で一年上のMさんは、広島研究所に計装研究課電子計算係が出来るときに長崎研究所から着任し10年余り勤務した後、化学プラントセンターへ転勤した。
2年後電子計算研究室主任として復帰したが、広島に居ること一年あまりで転出し、3年後に制御研究室主務として帰任し、2年で本社へ転出した。
こんな例は珍しい。
技術的にも優れた人物で、後輩の面倒見の良い実に良い人であった。
後年になって、私は名古屋にある電子制御技術研修所に転勤したのであるが、おそらく私の名を挙げたのはMさんであったと思っている。
そのときMさんは研修所の筆頭次長であった。
制御研究室に移ってからも海洋構造物関連のシステム制御の研究を行い、広島大学の為広教授に委員長をお願いし、日本造船研究協会の「半潜水式海洋構造物の操作支援装置の開発研究」特別委員会(SRD−14部会:1984〜1985年度)に従事した。