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広島研究所・制御研究室に転属(広島に住んで:7)

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(半潜水式海洋構造物:イメージ)

1983(昭和53)年1月に、広島研究所内の制御研究室に転属になった。

この研究室は同年、電算技術研究室と制御研究室を統合して編成されていた。
室長は制御系の七字室長で、ほかに制御系の主務が、浜中、都丸、松永と居り、電算系の主務は宮崎、桜木の両氏に私が加わった。
電算系の筆頭主務であった橋本氏には「君が来るので追い出された。」と言われたのを憶えている。
主任以下のメンバーは制御系、電算系がほぼ同数であった。
電算系では他に丹波主務と島田主任が菱船に出向中であった。

海洋開発研究室は、海洋構造物・土質研究室と改称され、構造屋と土木屋の色彩が強くなったので江波地区から観音地区に移動になったものと思っている。

私に制御研に行けと内示した後、その室長が「制御理論を知っているか?」と訊いた。
内示と質問の順番が逆だろうと思ったが「知りません。」と答えた。
しかし、制御研主務としては休日に行われていた協力会社の社員教育で制御理論の講座を担当することになり、その程度は勉強させて貰った。

その頃、広島で建造したアメリカに輸出した半潜水式海洋構造物(セミサブリグ)が事故で全損となり、多くの関係者が亡くなった。

この事故で訴訟を受けた船主はメーカーであった三菱を裁判に巻き込んだ。

「プロダクトライアビリティ」という概念を初めて知った。

例えば、支払い能力のないものが保険にも加入して居らず事故を起こしたとする。
事故を起こした当事者は支払い能力がないので弁償能力もない。
それでは被害者が泣き寝入りになる。
それで資力のある自動車メーカーを徹底的に追求し、設計・製造段階で何らかの瑕疵が見つかれば「製造社の責任」として罰金と被害者への補償を要求するという概念である。

以前に行われた商談から設計、建造段階に提出された図面や計算書、それに打ち合わせの議事録などが精査され、特別プロジェクトが編成された。

実際に搭載したバラスト監視制御盤と同じものがメーカーに発注され、作動中の制御板に大量の海水をぶっかけても制御弁などが危険側に作動しないという実験まで行った。

私は半潜水式海洋構造物の浮沈や傾斜を制御するバラスト系のシミュレーションプログラムを作成し、考えられ得る場合を想定して、秒時経過に伴う海洋構造物がどのように傾斜し転覆に至かをグラフィックディスプレイ上で再現させた。

後日、米国で始まった裁判で、当方の正当性と周到な準備を判断した原告側は訴訟を取り下げたと聞いた。

当方のシミュレーションではバラストタンクの容量のみでなく形状まで考慮し、配管系も出来るだけ実機にそったモデルで行ったが、原告側はパーソナルコンピュータなどで多用されている表計算プログラムを用いていたと聞いた。


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2012年03月09日 13:36に投稿されたエントリーのページです。

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