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淡水から広島までの一千浬(53)

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モサメデスの街はパステル画のような美しい街であった。

レストランもあり、野外映画劇場もあった。

街角の小公園には常緑樹が赤い花を付け、オウムが飼ってあった。

それぞれの家は黄色や藍色のような鮮やかな色で塗られていた。

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日本車も結構多かった。

この街のタクシーは黒塗りのベンツかセドリックであった。

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ポルトガル人の子供は本当に可愛かった。
次席さんが街角で、子供達に持っていった楽器を鳴らすと男の子も女の子も20人くらい集まってきた。
白人の10代の少年少女はとても人懐っこくチャーミングであった。

1961年頃には独立戦争が始まっており、1975年にアンゴラ共和国として独立したが、しばらく内戦が続いていた。

あの頃、街角で逢った子供達はおそらくポルトガルに引き揚げたのであろう。

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午後の一時、思ったより通りを歩いている人達がいた。

ポルトガルの地方都市のような街並みであった。

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大人も、外国から来た我々が珍しいのかちょっと間を置いて立っていた。

長閑な午後のひとときであった。

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これはレストランで食事をした後、船長と撮った記念写真である。
食後に食べたパパイヤが旨かった。

市場の果物屋で陳列台にあったパパイヤを掴もうとしたら指が抵抗なく入ったのには驚いた。
置かれたまま熟れすぎていたのである。

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これは船長と本船の看護婦さんである。

アフリカ航路は、黄熱病予防注射をうったことを証明するイエローカードが必要な上、船医が乗船する必要があった。

船医がいない場合は看護婦がその代行を行っていた。

駅前には立派な郵便局もあった。
ここで、訪問記念にアンゴラの切手をシート買いした。

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これはその切手の一部である。


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2012年02月25日 11:05に投稿されたエントリーのページです。

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