当時、アンゴラはポルトガルの植民地で、モサメデスという街はモサメデス州の州都であった。
そこから少し離れたところに鉄鉱石の積出港ポート・サラザールはあった。
アンゴラが独立して、州名はナミベ州に、街の名はナミベとなった。
2004年の統計でナミベの人口は13万人余りで、これはナミベ州人口の4分の1に当たるという。
港は切り立った岸壁の横にあった。
積載重量11万トンの鉱石運搬船「笠木山丸」の満載喫水は16メートルである。
これを接岸させる水深の専用港湾にクルップ社製のコンベア付きローダーが設置されていた。
鉄鉱石は奥地の山岳地帯から鉄道で輸送され、ここから積み出されるとあるが鉄道線路は見えなかった。
モサメデスからダンプカーで移送したものであろうか?
モサメデスの街から大陸奥地に敷設されている狭軌の鉄道はいまでもモサメデス鉄道と言うらしい(在アンゴラ大使館:「アンゴラ情勢(2012年1月1日)」)。
モサメデスの街までの道路には並木が植えられていたが、その遙か向こうでは放牧が行われていた。おそらく牛であろう。
コンベアの敷設された港湾に隣接した高台の上は原住民の集落のようであった。
接岸時にはモスクのような建物も見えた。
崖下には小船を繋ぐ桟橋もあった。
ここで釣った小魚は自分たちの糧食になるのであろう。
ここではアジの大群が湧くことがあり、その時は地元民は数名で海に入って手づかみで採るという。
ポート・サラザールには沿岸漁船の基地らしい設備があり、幾棟かの建屋があったが、とてもバザールと言えない。
笠木山丸を接岸するためにパイロットボートと2隻のタグボートは、ここに居たものではなくモサメデスから呼び寄せたものであった。