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淡水から広島までの一千浬(34)

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私が卒業して三菱造船に入社した年の8月に、広島市営の高天原墓園(区画番号:2級118号)に原田家の墓として墓碑を建てた。

そしてその翌年の1964(昭和39)年に西蟹屋で生まれた妹、由起は広島市立舟入高等学校に進学した。

その年の5月20日は両親の結婚25周年記念日であった。

結婚して数年もしないうちに戦争になり、無一文で引き揚げ、原子爆弾で70年は草木も生えぬと言われた広島に住んで、20年近い年月が経過していた。

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会社の厚生課に申し込んで、宮島保健会館に3人で食事をし、両親はそこに泊まって宮島を観光して帰った。

その保養所は厳島を対岸に望み、海面に立つ朱の鳥居もよく見えるところにある。

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ここにはスナイプ級ヨットの艇庫があり、焼き玉エンジンの漁船も1隻あった。

休日には職場単位で釣りや海水浴に行き、釣った魚を賄いに持って行き、ビールを飲んでいると煮魚にしたり、焼き魚にして持ってきてくれたりする良い雰囲気の保養所であった。
私もその頃行った覚えがある。

その頃はとても和やかな家庭的な雰囲気であったが、管理人が変わると従業員に「そんなことはしなくて良い。それもするな。」と言い、手のひらを返すようにサービスが変わった。
何でも、焼き玉エンジンの漁船は前の管理人に退職金代わりに譲渡したと聞いた。

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2012年02月06日 11:43に投稿されたエントリーのページです。

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