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淡水から広島までの一千浬(30)

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大学2年生の夏、酒類卸売店でアルバイトをした。
オート三輪の助手席に乗って、小売店や飲食店にビールケースを納品するのである。
角帽を被り、酒屋の前掛けを締めてビールケースを運び込むのであるが、2階の倉庫に納めたり、狭い地下に運び込んだりして思ったより大変であった。

たまに小売店などで、冷たいお絞りやアイスキャンデーを貰うとことがあると本当に助かった。
そこの店主は荒二井芳衛と言って、旧陸軍の連隊長を勤めた人であった。とても厳しい主人であったが、終了日には日給計算にボーナスを付けてくれた。

船舶工学科では3年次と4年次に造船所実習がある。
学生は上京出来るからと、横浜ドックを希望する者や、神戸の新三菱重工や川崎重工、当時世界一の建造量を誇る長崎造船所に生きたがる学生が多かった。
旅費付き、宿泊付き、日当付きで週に一度くらい飲みにも連れて行ってくれるという。

1961(昭和36)年7月に、3年次の実習で私は三菱造船下関造船所を選んだ。

折角、2〜3週間も造船所に通えるわけであるから、大型船を連続建造しているようなところより軽合金の魚雷艇や、当時はやりの水中翼船、それにタグボートやキャッチャーボートなど、いろいろな船に巡り会えると思ったからである。

両親は、実習が決まると綿の煙管服を買ってくれた。
いわゆる「つなぎ」である。
煙突などに入る必要のある場合、上下の作業服を来ていると腰の辺りから粉塵が入り込んで始末が悪いのでワンピースが用いられていた。
しかし、真っ白な煙管服は目立った。

宿舎は、船主監督官や艤装員の宿であった彦島寮であった。
同時期に実習したのは広大船舶4年生の和田氏と、他大学から来ていた大鶴氏(機械科)だけであった。
大鶴氏は就職した事業所で偶然再会することになる。

実習が始まって、父に手紙で状況を報告したら、折り返し返信があった。
いまも手許にある。

下関造船所では当時、海上自衛隊の「第10号魚雷艇」を建造していた。
艇体は軽合金で、エンジンはイギリスのナピア社から輸入したデルティック・ディーゼルエンジンである。
その建造のための監督官もそこに駐在していた。

工作部の事務所に連れて行かれ、係長が材料力学の問題を作ってくれこともある。
船台で作業する作業班に預けられて、溶接やガス切断のまねごともやらせてくれた。

終末には実習生の歓迎と、班員の慰労を兼ねて海水浴にも連れて行ってくれた。

工作部の課長、係長、担当技師などが小さな料亭で歓迎会などもしてくれた。

彦島は本土の下関から橋が架かっており、バスでも徒歩でも街に出られた。
当時、捕鯨の盛んな頃で駅のガード裏には「まるは通り」もあった。
彦島寮に勤める人と映画を見に行ったこともある。

寮の管理人は、淡水公会堂の管理人をやっていた頃の祖母を想像させるような女将で、嫁と孫もいた。よく面倒を見てくれた。

造船所としては中小の造船所と同じように忙しくしていたが、基本設計の原田課長が電話でドイツ語で交渉していたのを聞いたときはちょっと驚いた。
造船設計課長の野口良平氏にもなにかとお世話になった。

忙しいなかではあったが、飽きないようにいろいろなことをやらせてくれた。
何時だったか、ドックに注水し浮かんでいる船に潜り込んで作業していたら酔って気分が悪くなったことがある。

トルコから受注した中型貨物船を3隻建造していたが、そのうち1隻の試運転にも乗せてくれた。

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船名はたしか「ガジ・オスマン・パシャ」といった。
別に仕事はない。速度や旋回性能など契約仕様を確認する重要な試運転であり実習生は見学しているだけであった。

宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘をしたことで有名な巌流島の大部分は造船所の所有地であった。
今は観光船の上陸ポイントにもなっているらしい。

実習しているときに甲子園で行われた高校野球の決勝も彦島寮で監督官たちとTV観戦した。差し出されたコップのビールを一気飲みしたら女将が注ごうとしたが、この時は流石に遠慮した。

監督官は、軽金属を製造している神戸製鋼所長府製作所を見学するなら紹介しようかと言ってくれたが短期間の実習であり機会を逸した。

ときどきフグや鯨を食いに下関に行くが、その時の実習から半世紀近く経って、関門海峡から造船所を眺めたことがある。

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2009(平成21)年に呉の海事歴史科学館(大和ミュージアム)で「船の文化検定」を受けたときに主催者の体験乗船会があり、北九州市の海事広報艇「みらい」で約1時間の乗船を楽しむことが出来た。


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2012年02月02日 10:38に投稿されたエントリーのページです。

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