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淡水から広島までの一千浬(25)

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修道高等学校には修学旅行がなかった。
その代わりが修道中学校の修学旅行であった。

別府、九重、阿蘇、熊本、雲仙、長崎の北九州めぐりであったと思う。
生徒数が多いので、宿舎その他が対応出来なかったのであろう。
2班に分けて逆回りで行ったと記憶している。

当時、広島から別府に行くには宇品から定期船が出ていたが、鉄道列車の貸し切りであったと思う。船に乗ったのであれば憶えているはずである。
小学校の修学旅行も別府であったが、船では引率の眼が届きにくいので列車になっていたのだと思う。

九重(久住)にも行った筈であるが写真が残っていない。

阿蘇の宿舎は、夏目漱石が泊まって「二百十日」を書いた山王閣で、雲仙の宿舎は、佐田啓治、岸恵子が、映画『君の名は』をロケしたときに宿泊していた「東洋館」であった。ここも写真がない。

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山王閣の庭で、外輪山をバックに撮った写真で、フィルムサイズ2センチ角ほどのプラスティック製玩具カメラである。

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阿蘇、中岳の噴火口では長田と中村と撮った。

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熊本城に行ったあと、三角から島原に向かう船上で撮った写真である。
右に写っているのは江田島から来た級友、津島英哉である。
なかなかの秀才であった。
彼は日本IBMの製造装置工業のシステムエンジニアをやっていたが、船舶推進器の動的応答に関する論文などを執筆している。
長野オリンピックのときは同委員会に出向していた。
2010年の那須ベテランテニス大会で優勝したスポーツマンでもある。

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こちらは廿日市から通っていた級友、永井勝彦である。
「根は優しくて力持ち」という感じで、電停から登校する道すがら、当時は所持許可など要らなかった空気銃の話しや当時まだ珍しかったプラスチック模型の話しなどをしていたことが思い出される。

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島原の船着き場で撮ったものであるが、彼の名は思い出せない。
編入生であったと思うが、修学旅行で小さなプラスティックカメラを持ってきていたのは彼である。

熊本城にも雲仙にも長崎にも行った筈であるが定かに憶えていない。
なにしろ半世紀以上前のことである。

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2012年01月28日 09:59に投稿されたエントリーのページです。

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