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淡水から広島までの一千浬(4)

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龍目井は淡水駅から河口の方に寄ったところで、油車口から来る道(中正路)と山手に向かう道(建設街)が合流するロータリーは、新店街や駅の方から来る道路とつながっていたが微妙な接続で、新店街の方から見ても烽火街の方から見ても見通しが利かず行き止まりのように見える。

公會堂の建っていた砲臺埔も龍目井から遠くない。

龍目井の宿舎も、当時淡水に土地や借家を沢山持っていた中野金太郎氏が所有していた。

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この父の写真は断髪前に撮ったものだから龍目井に移転した直ぐあとと思われる。
写真には「小公園、安武さん宅前」とメモがある。安武さんは父の同僚であった。

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1942年12月8日、大東亜戦争開戦一周年記念日にここで妹 恭子が生まれた。

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この写真は年が明けた正月に、龍目井の宿舎で撮った恭子の宮参り記念である。

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この宿舎は道路(中正路)から小路を入ったところにあった。
これは家の前の土塀を背に撮ったものである。

父のメモによると窓際に筧を掛け、縁先に四角い水槽を据えて金魚を飼っていたという。
この年の春、父が三芝に転勤したので間もなく三芝の官舎に移転した。

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2012年01月08日 17:46に投稿されたエントリーのページです。

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