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淡水から広島までの一千浬(3)

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台湾神社、社務所前で撮った両親の結婚写真である(1939年5月20日)。

列席者は、前列左から、(祖母)廣川オツ、(祖父)廣川慶太郎、(媒酌人)松田公学校長、(新郎)廣川研一、(新婦)時子、(媒酌人夫人)松田サト、(淡水街長)中原 薫、(新婦の従姉妹)山本マキ子、(祖母)原田ユク。
後列左から、森田鶴吉、(新婦の叔母)山本益子、(山本夫妻の次男)山本睦美、(新婦の叔父)山本忠治、宮司、(海水浴場:祖母の伯母)浅野タツ、(友人)小栗常寿氏。

祖父、廣川慶太郎は帰国して10月8日に66歳で亡くなった。

淡水に帰って、公会堂の洋館で披露宴が行われた。

両親が結婚したとき、淡水新店で塩屋を営んでいた黒川さんの2階に住んでいたそうである。
三間あり、広廊下あり、ベランダありでとても住み心地の良い家であったという。

しばらくして龍目井の丹羽先生が転勤になり家が空いたのでそこに移った。

郵便局の近くで、裏口は父の同僚である安武先生宅の裏に通じていた。

小路を入ったところであったが、通りに出ると傍に小川があり、筋向いに床屋があった。この床屋は戦後も営業していたことをLCさんの写真で知った。

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2012年01月07日 13:14に投稿されたエントリーのページです。

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