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淡水から広島までの一千浬(1)

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私は1940年2月に淡水で生まれ、1946年3月までそこに居た。
その間、1943年3月に父が三芝国民学校に転勤したので三芝(小基隆)に転居していたが、淡水に戻り、1944年10月12日の淡水空襲にも遭っている。
1945年5月には、淡水国民学校の学童を北投庄の善光寺に疎開させることになり、その祖母や母が祖母として同行したこともある。
台南の部隊に応召して、マラリヤに罹病しジャングルの野戦病院に入院していた父も9月には淡水に帰宅した。
翌年3月に台湾総督府に集結し、基隆から鹿児島に引き揚げ、その翌月、本籍地で小学校へ入学した。担任は父の教え子であった。

引き揚げたときは満6歳になったばかりで、記憶も断片的なものであるが思い出すことを順不同に書き綴ってみようと思う。

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2012年01月05日 12:00に投稿されたエントリーのページです。

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